■闘うウォーキング |
夕闇に沈む住宅街に迷い込んだ時は、窓越しに家々の団欒風景を覗き込むようにして歩く。皆幸せだろうか……。懐かしいリルケや中原中也的な孤独感を思い起こす頃、ようやく鬱屈が解(ほど)けてきたことを感じ、小さな旅を終わらせて家路に着く。
歩きながらよく考えるのは、やや大袈裟だが、「定住と放浪」といったことだ。編集という仕事にはその地での情報や人間関係などの蓄積が肝心だ。まずは定住者たらねばならない。そして定住者こそは旅や放浪、見果てぬ何かを憧れる存在だ。
旅が結局、自分と向かい合う行為だとしても、そこには自分の身体でしか経験できない何かがあるだろう。定住しつつなお憧れ続けること。そのためには、どれくらいの想像の脚力が必要だろうか。
(「日曜夕方の小さな旅」──「西日本新聞」2006年4月)
*
上記のコラム原稿を書いたのは5年前。その後、私のウォーキングの中心は、整備された池の周囲を回ることに移った。城南市民センター裏にある「西ノ堤池」、1周約700メートル。信号や車などを気にしなくていいし、ゴム張りの遊歩道(宝くじ協会の寄付に基づいているとか)が足裏に心地よい。
ここ数年私は、我が家から2キロ程の所にあるこの池に歩いて行き、周囲を11周、それに池の端に3段(10・15・20センチ)の高さのステップがあり、そこの上り下り(各100回ずつ×2セット)をして帰ってくるというウォーキング・メニューをこなしてきた。ちょうど2時間。歩数おおよそ15000、12〜13キロか。周囲11周という半端な数字は、10周では1万5000歩に少し足りないので。小雨の時は折り畳み傘を持参。最初から大降りでは決して楽しくないので、さすがに中止。
一昨年などは、年間50週の内、47〜48週これを行った。
何のためにというなら、まずは山登りのため(に加えて、おんぼろスズキ・イントルーダー750を操るため)の体力維持(ある意味で意地)、次に、無心になれる時間がほしい、そして、四季を肌身で感じたい──といったところ。
中・高・大生と走っている若者も多いが、毎週行っていると、この時間帯、どういう人がウォーキングの常連かがいつしか分かる。歩き方やスピード、周回数など様々で、そうした人たちを眺めつつ歩くのも面白い。勿論、次第にムキになっていくが。
*
ところで、ほとんどが右(反時計)回りで歩いたり走ったりしているのに、わざわざ逆回りをする人(同一人物)と何度か遭遇した。私はいつも、歩数が稼げる右端ぎりぎりの外側を歩く。そこに、「左回り・左端ぎりぎり」という、私とは好みの真逆な人がいて、当然真正面から鉢合わせとなる。どちらが外側を歩けるのか……周回ごとに緊張の一瞬が訪れる。
こうした時私は、相撲で言う「電車道」のイメージで押し通す。ここでためらってはいけない。本当に袖を擦り合わせたことも何度かあるが、なんとしても右側を進む。何周かそれを繰り返すと、相手も諦めるのか、少し遠くから私を認めるや否や、すぐそばで擦れ違わないよう、さり気なく(でも口笛は吹いていなさそう)池寄りに道をはずすようになる。うーん、そこまでして(されても?)逆回りに拘るのか。
きっと、最初の時点で「どうも」とか「こんにちは」とかと言ってしまえば気持ちの負荷も軽くなるのだろうが、誰が相手にしろ、(毎回しないといけなくなるのも面倒だし、闘志もにぶりそうなので)ウォーキングの時に世間的な挨拶はしたくない。
ともあれ、偏屈や意地っ張りは私以外にもたくさん居るようだ。
*
最初に書こうとしたのは、昨年10月からは、会社創業以後の何やかやで一月に一度行くのが精一杯となり、ようやく昨日の好天下、久し振りに上記「ノルマ」を果たすことができたことだ。
ちょうどユキヤナギが真っ盛り。こんな時季の夕暮れに歩くのは気持ちがいい。1周ごとに夕焼け空が色を変え、すべてのものが次第次第に夕闇に沈んでいく──。何より「彼」も居なかった。
