■シンガポールの昼と夜 |
赤道に近く確かに暑い国だが、少なくとも滞在三日間は耐えられないほどではなかった。しかし、一年中「夏」以外の季節がないのだったら、それはとても寂しいことだ。
泊まったホテルは「スイスホテル・ザ・スタンフォード」、例のホテル「ラッフルズ」の近くにある。現地案内人に融通を頼んだことが功を奏したのか、73階建ての59階に部屋が取れた。
前もって知っていたことだが現実に見てやはり驚いたのが、このホテルは全室にバルコニーが付いていて、そこからはまっすぐに(この部屋では180メートル下の)地上が見下ろせることだ。いつからか「墜落願望」を持っている私だが(そのうちバンジージャンプやパラシュート降下を体験してみたい)、さすがに脚にしびれが走った。眼下には例のマーライオン公園があるマリーナ湾、その向こうにシンガポール海峡が広がっている。
ホテルは地下鉄シティ・ホール駅に隣接、周囲には高層ビルが立ち並んでいる。付近一体が公園のようだ。ちなみに、IT関連や金融の他、観光も屋台骨を支えているらしいシンガポールには、高層・豪奢なホテルが多く、ひょっとしたら福岡市の西鉄グランドホテル・クラスなら100カ所位あるのではないかと思った。


[ホテルの部屋から眺めるマリーナ湾の昼と夜。左手は、最近テレビCMで見かける複合施設「マリーナ・ベイ・サンズ」]
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以下、印象的だったことを幾つか書いておきたい。
まず、街やホテルで見かける「人種」が実に多彩だ。あくまで私の“見た感じ”での区別だが、中国系(シンガポール人口の70%を占めるらしい)、東南アジア系、インド系、アラブ系、ヨーロッパ系、アフリカ系……それに南アメリカ(ラテン)系らしき人たちも見かけたので、乱暴に言えば地球上のほとんどの「人種」がいるような気がした。かつて駆け足で旅したパリやロンドンでも多彩だったが、それでもやはりヨーロッパ及びアフリカ系が大半で、アラブ系・インド系・マレーシア系らしき人々は少なかったように思う。
次に、知り得た限りの物価では、地下鉄やタクシーなどの交通機関は割安だし、日常生活に必要な品物は日本と変わらない程度だが、ビールは350ミリ缶が店買いで350円程度、レストランでは700円以上、私は現地で買わなかったが煙草(海外から持ち込んだだけで課税される)は一箱800円程だとか。それに、自家用車を手に入れるのも大変なようで、1500ccクラスで500万円程するだけでなく、所有や維持に関してもあれこれと条件があるらしい。便利のいいマンションなら5000万から1億円程すると聞いた。嗜好品や贅沢品からはしっかりと税金を取り、かつ社会階層的な考え方もシビアなようだ。道路もしっかりと「車優先」だ。
こうしたことでは、確かに街の中は福岡市街地並みに奇麗だし、都市機能も充実している様子だが、それは一つには市民生活上の様々な「禁止事項」──例えば、道路上でつばを吐いたり、指定された場所以外での喫煙といった場面だけでなく、公共のトイレで「大」をした後に流してなかったら罰金、さらに「密告報奨」なんてのもあるらしい──だけで見ても、どこか管理された上でのことのように思える。これが、あくまで人工的に構築された「都市国家」たる所以か。その背景には、ある種の“強権”もしくは“全体主義”の匂いがしないでもない。
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たまたま日曜日だったせいもあるだろうが、有名なオーチャード・ロードの賑わいぶりは凄かった。なんでこんなに人間が居るのだ、という感じ。通りは暑いが、ビルの中に入るとどこでもキンキンに冷やしてある。汗をかいては冷やす、の繰り返しで体調のおかしくなる人もいそうだ。
表通りにはどでかいブランド・ショップが並んでいたが、私の関心はもっぱらデパ地下などにあるスーパーで現地の人が普段買っている品物を物色すること。オーチャード・ロードの各ショッピング・センター(どこの品揃えも大差はない)の他、フランス系の大型スーパー「カルフール」にも行ってみたが、一つの品物が大量に積み上げられていることに面食らったぐらいで、それほど興味を引かれなかった。
見て回った中で嬉しかったのは、リトル・インディア(インド人街)にある「ムスタファ・センター」。24時間営業、主にインド系市民向けの巨大なショッピング・センターだ。見当はつくが見慣れないデザインの雑貨や生活用品、生鮮食品、アクセサリー、洋服、電化製品……何より愉しいのが、どう使うのかよく分からない食料品や香辛料が山ほどあることだ。日本人にとっては、ここが一番エキゾチックな買い物ができそうだ。私は生まれて初めて「マサラ」(複合香辛料)を購入した。
この流れに沿って、シンガポールで私が気に入ったものを、もう少し挙げてみる。
まず、シンガポール・フライヤー(観覧車)。28人乗りのゴンドラで30分かけて一回りする。ちょうど夕方からこれに乗っている最中、マリーナ湾で花火が揚がり始めた。後で聞くと、8月9日が独立記念日(つまり日本軍から解放された日)なので、それまでの毎日曜日に色々な催しのリハーサルが行われていて、花火もその一環とのこと。
次に、夕暮れのリバー・クルーズ。所要30分、料金1000円程度。船上で涼やかな風に吹かれると、異国にいる緊張感がほぐれる。
それに、シンガポール植物園。全く名前の分からない植物ばかりだが、いかにも赤道近くの植生が楽しめる。

[観覧車中から見る花火。ちょうどホテルからは反対側の光景]
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ところでシンガポールは、私の父がかつて駐留した地だ(父は陸軍所属、詳しい軍歴は聞いていないか聞いたのに覚えていないかだが、一時期、戦争末期に製作された「陸軍二式単座戦闘機・鍾馗」のパイロットだったらしい〔と言っても、車の操縦はそれほど上手くはなかった〕。1983年死去)。それで、長い間私には、そこを「観光」で訪れることに躊躇があった。このところようやく、やはり一度見ておこうという気持ちになった。
最終日、ホテルのバルコニーから見下ろしていた戦争記念公園を見学しておくことにした。その中心にあるのが、日本軍による犠牲者を追悼する「日本占領時期死難人民祈念碑」。犠牲となった中国人、インド人、マレー人、ヨーロッパ系市民を表す4本の白い柱が、寄り添いながら空に向かっている。
「香港と並び欧米諸国の多国籍企業のアジア太平洋地域の拠点が置かれることが多く、特に、近年は東南アジアの金融センターとして不動の地位を保っている」(ウィキペディア)という国にやって来て、その急速な経済成長振りを目の当たりにしながら、70年昔の一兵卒たる父親のことに思いを馳せる者も、もはやあまり居ないだろう。
近年、中国及び東南アジアの経済発展が取り沙汰されることが多くなった。私は「日本が置いてきぼりを喰らうのではないか」などと心配しはしない(しても仕方がない)。ただシンガポールには、(返還前・後の)香港を見ても、(近年の)上海を見ても感じなかった──例えば東南アジアの現在について──眼を覚まさせる何かがあった。少なくとも、私の中にも、この国の父祖の時代からの「南洋」幻想が密かに命脈を保っていたかも知れないことに思い至り、それとの別れを告げる旅となった。
