■「菊畑茂久馬回顧展」と大濠公園の向日葵 |

私はこれまで、菊畑さんの著書では『戦後美術の原質』(葦書房、1982年)、『反芸術綺談』(海鳥社、1986年)、それに『菊畑茂久馬著作集』全4巻(海鳥社、1993〜94年)を手掛けさせていただいた(今回もそれぞれ販売されていた)。前2冊はちょうど、「20年の沈黙を破った大がかりな個展」といわれた「天動説」シリーズの制作・発表の時期でもある。私が初めて「天動説」シリーズを観たのは、図録年譜からすると1985年(岩田屋)だったようだが、そのなんとも言えない深くて鈍い色合いを湛えた大作群に出合った時の衝撃は未だに忘れられない。まさに私自身が「大きな壁」にぶち当たった気がした。
今回、「天動説」シリーズに再会できて懐かしい思いを持ったのは勿論だが、それとは別に、これまでとは違った感触があったのは、これまた何度かお目に掛かっていた「月光」シリーズ(1986〜88年)に、改めて鮮烈な美しさを感じてしまったことだ。とりわけ「月光二」。
重厚な鉛色の世界から、深いけれどどこか軽快さも感じさせるブルーへ──この私自身の感触の変化は、勝手な言い草を弄せば、本当に行き詰まってしまった今の「時代」のせいなのか、それとも盛夏の真っ昼間に観たせいなのか……。
(ここでは、「天動説No.107」と「月光三」が掲載されている福岡市美術館のサイトへリンクをはっておきたい)
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最近珍しいほどの豪華な図録を購入した後、市美を出て久し振りに大濠公園を歩いた。炎天下でもウォーキングやランニングをしている人たちがいる。昼間にそういう時間があることがちょっぴり羨ましい。
ふと、微かに何かから呼ばれているような気がした。振り向くと、近所の人たちが手入れをしている植え込みで何本もの向日葵が風にそよいでいる中、とても美形の一輪が目に入った。
私は、映画『ひまわり』で大量な数(すなわちこの映画の主役)を見たもの以外、この花に特別心惹かれたことはないが、まばゆいばかりの壮大な画業の一端を鑑賞した後に見る(菊ではなく)向日葵、その一輪の屹立した佇まいが、どうしても菊畑さんと重なって仕方なかった(いやいや、これは単に「ルーレット」の残像のせいか?)。
