■加藤典洋『さようなら、ゴジラたち』 |
テキスト希望を出したのは、ふとなぜか、加藤さんの本を読みたくなってきたからだ。刊行直後に買っていた本書をようやく読み通し、久方ぶりに加藤さんの文章をじっくりと味わった。
加藤さんにはこの会で、1992〜98年の間、講演を5回やっていただいた。そして私は、対談・座談・講演をまとめるシリーズ「加藤典洋の発言」を企画し、『空無化するラディカリズム』、『戦後を超える思考』、『理解することへの抵抗』の3冊(1996〜98年)を手掛けさせていただいた。
それはちょうど、日本の戦後を問い直そうとした力作『敗戦後論』(1997年)の刊行と相前後していた時期でもある(ほぼ同時に私は、竹田青嗣さんの単行本未収録原稿をまとめる「竹田青嗣コレクション」〔全4巻〕も進めていた)。
それが、ここ6、7年だろうか、いわば自分の都合で、ほとんど「文学」的世界から遠く隔たった日常を送る中、加藤さんの文章に向かう気持ちの余裕を失ってしまっていた。加藤典洋ファンなら分かってもらえると思うが、それは、ただ骨となる論理を追えれば了解できるという文章ではない。けれど、一旦そこにはまってしまうと、“世界の味わい方”が変わってしまうほど、独特の地平を見せてくれる。
講演の際でも、最初は恥じらうような遠慮がちさで、一体どこに連れて行かれるのか心配になったりするが、話の進みゆきの中で次第に熱が入り、最後は紅潮した顔で机すら叩きかねないほどになっていく加藤さんを何度か目撃した。

[装丁は以前の記事で触れた桂川潤氏の仕事だ]
さて、この『さようなら、ゴジラたち』は、「戦争という経験やその記憶をいかに伝えるか」について、一旦、その「伝承しなければ」という気持ちのバトンを置くしかない、そうして初めて、自己の選択でそのバトンを拾う人間が出てくるだろうし、そうした彼/彼女らに「理想」が生き残る可能性を託すしかないのでは──という、加藤さんがずっと言ってきたスタンスを展開したものとなっている。
これは、実際の体験者たちから「戦争を知らない子供たち」と言われ続けた世代が、「傘がない」という心境や情況をこそ選ぶ中で、それでも「理想」の穂先を追い求めるため、次代に何事かを伝えるための「作法」を示したものとして、今の私にとっても深く頷ける考え方だ。
以前加藤さんから、早稲田大学に移った後は英語でのみ講義を行う立場になる、と聞いた。言うまでもなく、若者が「他者」であるなら、母国語を異にする人々こそは紛れもない「他者」だろう。本書末尾の「『壁のない世界』の希望」で、加藤さんはこう書いている。
【『敗戦後論』をはじめとする私の議論がなぜいまなお、外国の一部の世界で否定的な意味あいでであれ、喉に刺さった魚の骨のように痛痒を感じさせるものとなっているのか。その理由のすべてを私が理解しているとは思わないが、少なくとも一ついえるのは、私が自分の議論を当時のポストモダンな欧米流の考え方に抗し、日本の戦後(ポストウォー)の思想の遺産──と私が信じるもの──に立って、構築している点である。私の考えでは、柳田國男、折口信夫など独自の民俗学を源流の一つとして開花した吉本隆明、鶴見俊輔、竹内好、江藤淳などからなる日本の戦後思想の核心は、いまなお、諸外国の知的な読者のもとに理解可能な形で届けられていない。それは、気にはなるが、理解できない「わけのわからない」思想なのである。これらの思想家の「わけのわからなさ」(略)、そこに、日本の戦後思想の核心はあり、それは世界の「戦後」性に突き刺さる小さな魚の骨でもあるのだと、私は思っている】
なんだか切なくて、深く了解できる言葉だ。