■谷川佳枝子さん、お寺の本堂で講演 |
「晴好」とはすなわち中央区春吉のことで、明治の頃に使われた表現とのこと。この春吉地域(春吉/西中洲/渡辺通/清川/高砂)の情報文化コミュニティの充実・発展を目指していこうという趣旨で結成されたのが前記実行委員会。晴好夜学はその一環とのことで、「人生の達人をお招きして、達人の思う『よかまち』と、『そこに住む人々』についてお話をうかがい、みんなで『まちづくりに対する思い』を語り明かします」というのがその“建学精神”。建立寺も多大な協力をされているようだ。
集まってきた方々は20歳代から80歳代まで居られたか、五十名程。今夜が8回目で、これまで最大の人数とのこと。
紬の和装で登場された谷川さんは、自著『野村望東尼』(小社刊)の執筆経緯、名の読みは「もとに」ではなく「ぼうとうに」であることを語った後、望東尼の生い立ち、大隈言道(ことみち)門下で和歌を学んだこと、子供たちとの死別、平尾山荘での日々、京坂への旅、勤王商人・馬場文英との出会い、平野国臣・高杉晋作ら志士との交流、姫島流刑と救出、そして防府での終焉に至るまでを分かりやすく説き、予定通りの50分間できっかり講演を終えられた。
その間、谷川さんは立ったまま。にこやかかつ堂々たる着物姿での講演は、我が母校(大学)の同期、あの著名な江戸文化研究者にもひけを取らなかったのではないか。質問にも的確・即妙に答えられていたが、どうやらみなさん一番の関心は──歴史上の“志女”と眼前の才媛との何かの比較・類推からか──望東尼の(再婚の)夫・野村貞貫(さだつら)の人物像だったようで、それには谷川さん、「心の大きな人だったと思います」と。
そもそもが話題は尼歌人のこと、いつの間にか“本堂講演”という違和感はなくなっていた。

部屋をかえて宴席に。私も勿論そうだが、これがためのお勉強であり、どの顔にも(場所柄から譬えるなら)蓮のような笑みが広がった。
私もつい、そばに居る人をつかまえて話し込んだが、ここで初めて「福岡路地市民文化研究会」なる会があること、さらに「全国路地サミット」まで行われていることを知った。
(会費1000円の場での)つまみと言うには豪華な鉢盛りは、中華料理の店をなさっている実行委員のお一人が張り切られたようだ。
それぞれ地道に何事かを、愉しみながらやり続ける人々がいることに刺激をもらう一夜となった。