■20周年を迎えた「大隈言道研究・ささのや会」 |
大隈言道(おおくまことみち)は、1798(寛政10)年、筑前福岡薬院抱え安学橋(あんがくばし)の商家に生まれ、1868(慶応4)年、福岡にて死去。福井の橘曙覧(たちばなのあけみ)と並び称される幕末期の歌人で、勤王歌人・野村望東尼の歌の師としても知られている。
ささのや会(私は事務局。HPもあるが、ほとんど更新していない)については、以前書いた文章があるので転載する。

【幕末期最高の歌人とされるのに、地元福岡においてすら知られなさすぎる、まずは語り継いでいこうではないか、ということで、大隈言道に関心を寄せる者たちが会したのは、1991年3月、言道の溺愛した桜が咲き初める頃であった。
言道旧居に因む会名を決め、以後、年に数回、会員内外による卓話を聴き、意見や情報の交換、新発見資料の紹介などを行う集まりをもってきた。
会の発起人でありその推進役を果たしてきたのは、医師・歌人の桑原廉靖氏である。歌の師・新開竹雨の意志を継承した桑原氏は、資料収集や執筆、歌碑建立に尽力するなど、晩年の精力を“言道発掘”に傾注、2001年11月、病によりその生涯を閉じられた。
会の所期の目的は、1万首遺っているといわれる言道の歌を「大隈言道全歌集」として纏めることにあった。これは未だ“夢の途中”ではあるが、桑原氏追悼の思いをもこめ、入手困難となっている言道生前唯一の刊本『草径集』(そうけいしゅう)の、誰もが読んで味わえる現代版を世に出そうとの企図により成ったのが本書である。
この春より10回、言道の墓所でもある香正寺(福岡市中央区警固)の一室をお借りし、近世文学専攻の穴山健氏により起こされた礎稿を検討する場をもった。一つ一つの歌を読み上げ、穴山氏に導かれてさらに味読すること、それは改めて、言道がいかに言葉とその響きを楽しみつつ大事にしたかを感得する得難い機会でもあった。
「自分の生きている時代を、暮らしている地を、詠め」という言道のメッセージは、何も歌の世界にのみ通じる話ではなく、言道の時代とは社会・生活環境が一変しようとも、自然との交歓や人の世の哀歓を繊細かつ時としてきっぱりと歌ったその声は、今の我々にも、ほんの少し耳を澄ませば聞こえてくるものではないだろうか。
この本が、言道の未知の読者と出会うことを、既知の読者の新たな愉しみとなることを願いつつ】

以上、穴山健校注・ささのや会編『大隈言道 草径集』(海鳥社、2002年)に編集後記として収めたものだが、迂闊にも18日当日にようやく気づいたのは、この集まりが今年、発足20周年を迎えていたことだ。なにしろ200年も前の人のことを調べているのでこちらも悠長なものだが、発会以来ほぼ2カ月ごとに集まっていて、これまで会を何回開いたかも記録していない。
ささのや会ではこのところ、ほぼ上記と同じようなやり方で、言道没後に「続草径集」と仮称された歌稿を読み進めている。『草径集』には旧い活字本もあるが、今度のは、まずは原文のコピーに頼るしかない。ちなみに言道の仮名書は名筆とされている。
この「続草径集」には2種あり、九州大学(記載歌約5000首)と天理図書館(同約1000首)にそれぞれ内容の異なるものが所蔵されている。どうやら両冊は作歌時点の記録ではなく、ある程度整理しながら書き写された段階のもののようで、幾度かの推敲過程や取捨の覚えらしき傍線、記号の書き込みが生々しい。
『大隈言道 草径集』刊行後9年。この合計6000首から、『草径集』収録数(971首)程度を選び出し、いわば「『草径集』後の言道歌集」を編もう、というのが私たちの目下の課題だ。言道自身が成し遂げられなかったことを、博多の人間が引き継いで、全く新しい歌集を世に残そうという大胆なプロジェクトでもある。
*
お得意の原稿使い回しで、もう一本転載する。「西日本新聞」に掲載されたコラム「川に落とした月」(「版元日記」、2005年9月)。
【「政治と文学」というのは古くからの問題だ。例えば幕末の福岡では、勤王歌人野村望東尼とその歌の師・大隈言道のことを思い浮かべる。高杉晋作ら勤王志士との交流で名を残す望東尼。一方言道には、「末の世といつより人の言ひそめてなほ世の末にならぬなるらん」などという歌はあるが、天下国家を論じたものは皆無。神仏に恃(たの)まず、道も説かない。一生涯、自然との交歓、人の世の哀歓を繊細に歌いつづけた。
その言道に関心を持つ人たちと一緒に、旧居に因むささのや会(HP有り)という名の集まりを始めて14年が過ぎた。2002年には、言道生前唯一の刊本『草径集』の現代表記版を出版。近年は5人ほどで、言道の書簡原文を読んでいる。
勉強会の後は酒宴(これが楽しみ)。嬉しいのは、皆酒が好きで、七十路(ななそじ)を超えた人でも衰えないことだ。けれど、言道にも「酒にゑひて川に落ちいりて詠める」と題し「何をかも落としやせしと水みればそこに残れる片われの月」という歌があるように、酒量と周囲に充分注意を払いつつ……なお飲みつづけたいものだ】
このコラムを書いて既に6年、七十路のお二人は八十路目前となった。急がなければならない。今年に入って毎月開催することに。
18日には不定期参加会員のお二人も交えて、7人で歌稿を読み合った。そして勿論、場所を換えて酒宴に。六本松の「まんぷく屋」で「繁枡」が2升空いた(単純計算で年6回の20年、計120回としたら、我々はこれまで一体、一升瓶を何本空けたのだろうか)。
*
さて、当夜読んだ内にとても気になる一首があった。「病床歳暮」という詞書(ことばがき)がある三首の内の一つ。
世一世のさめかたにしもなる夢のすゑむすはすやさめんとすらん
字数で区切った上、漢字混じりにして濁音を付せば、
世一世(よひとよ)の 覚め方にしも なる夢の 末結ばずや 覚めんとすらん
となるだろうか。
穴山先生が大意を述べられたが、なにしろその時私は、この歌が一体どこで切れるのかに戸惑っていて意味を取るどころでなく、全く頭に入らなかった。南こうせつの「夢一夜」なんかも脈絡なく思い浮かべたりしながら、独力で解釈しようとすれば、「一生は一晩のようなもので、目覚めがけに見る夢は、その結末を見るまでもなく覚めてしまうことだろう」というのは、あまりに無理矢理か。
病床で歳暮を迎えるのだからうら寂しさは当然だとしても、人の世の儚さに触れる一瞬を歌ってこれほど哀切な歌も、そうないだろう。ふと、衣々(きぬぎぬ)のことにまで想いを届かせたくなるが……。
*
最後に、もう少し分かりやすい歌を2首。
世の中にわが願ふことただ二つ 命ながさと花となりけり
品(しな)たかきことも願はず またの世はまたわが身にぞなりて来なまし