■松下竜一講演録『暗闇に耐える思想』 |
学生気分が抜けきっていないので、今でも時々「文学vs思想・哲学(或いは政治)」といった議論をすることがある。その際ありがちなのは、それぞれの概念についての受け取り方が各自異なっていて、互いに何を擁護したいのか、論議の行く末がなかなか見えてこないことだ。「思想」も勿論だが、とりわけ「文学」については、「小説」と同義として使っていたり、詩歌や随筆・評論などを含めた文学部的視点で捉えていたり、もっと広く「生活」や「感性」そのものに根ざす表現全般だと考えていたり……千差万別だ。
このほど、松下竜一さん(2004年6月死去)の単行本未収録原稿を集成する、全5巻シリーズの第一冊目を刊行した。松下竜一といえば、やはり『豆腐屋の四季』。私はそれを文庫で読み、その後、主として『砦に拠る』、『疾風の人』、『ルイズ──父に貰いし名は』などの伝記類を刊行時に読んではきたが、決して良い読者だったわけではない。私の中の松下竜一イメージは、いつも鉢巻きをした“運動作家”だった。同じような感想をこれまで何人からか聞いた。
そうした印象が変わったのは、新木安利さんの『松下竜一の青春』(2005年刊)の編集を手掛けたことからだ。そこには、家族と自然を愛するからこそ闘わなければならなかった一人の“私小説的思想者”の生成される過程が、長年伴走してきた人により、愛情深く、丹念に跡づけられていた。この書はあまり知られざる名著だ。
テレビ画面で公害により発症した喘息に苦しむ幼子を見るだけで、「むげのうてたまらん」と涙ぐんでしまうこの作家は、「やさしさがやさしさゆえに権力からつけこまれるのではなく、やさしさがそのやさしさのままに強靱な抵抗力となることを、身をもって示さねばならない」と書いた。
そうした「人生=文学=闘い」を選ぶ時、まず持つべきものが友であり、同志であることは、この人の書き綴ったものによく示されている。そこでの出会いは「縁」、時として「行き掛かり上」と言うしかないもので、今で言うネットワーク作りとは全く違う。一つ事を通して出会ってしまった以上、もはや降りることのできない生身の関係世界だ。
心優しい、文学を志してきた人間が、そこに暮らす一住民として、海岸で散歩や海水浴や潮干狩りをし、ただ海を眺めて心身を癒そうとすることをも「権利」と言うしかないのならそれを世に問いたい、という至極真っ当な考えから裁判を始めざるを得なかった経緯が、「環境権」をめぐって書かれた原稿を収めた本書から見て取れる。
政治やイデオロギーの道具と化してしまった文学は醜いが、「闘う」ことを忘れ果てた文学も薄っぺらになる。時代や社会がどう変わろうと、文学の本質的な「敵」は変わらないはずだ。個や命や夢や理想などを押し潰そうとするものに──そしてナウシカが迷い込んだ「腐海」のごとき記憶の風化に対しても──自己が立っている場所で抗おうとするその時にようやく立ち現れてくる営み、それを私たちは「文学」と言ってきたのではないだろうか。
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以上は、前の会社で『松下竜一未刊行著作集 第4巻 環境権の過程』を刊行した時(2008年6月)に、ブックガイド誌『心のガーデニング』99号に寄稿した拙文。このシリーズは、第一冊目を第4回「竜一忌」(於大分県中津市)に合わせて刊行、翌年の第5回同忌までに5巻全冊を出し終えるという、私にとっては大きな一区切りとなった仕事だ。
今年の第7回竜一忌に参加した際、松下さんの講演録出版の相談があった。私もちょうど選書的なものの発刊を考えていたので、その第一冊目とすることを即決した。
松下さんは1968年、『豆腐屋の四季』(自費出版。翌年、講談社刊)でデビュー。同書は、心ならずも家業の豆腐屋を継ぐことになった青年が、その生活上の哀歓を短歌を織り交ぜながら綴ったものだが、テレビドラマ化されて話題になり、「若者の反乱」といわれた時代の中、著者は“模範青年”と見なされるようになっていく。
著述家としての松下さんの歩みは、ある面そうした模範青年像からの脱皮の道程と言えるものだが、その一つのエポックとなったのが、1972年12月、「朝日新聞」に寄稿した「暗闇の思想」だろう。以降松下さんは、豊前火力反対の旗を掲げ、環境権裁判を闘い、個人誌『草の根通信』を発行しつづけることで、「反戦・反核・反原発」運動を代表する一人となっていく。
忘れてならないのは、そうした社会的な発言や行動の原点となるのが、やはり『豆腐屋の四季』であるということだ。その膨大な著作群にあくまで一貫しているのは、一人の人間として、弱きものとその生活を守る側に立とうという姿勢だ。
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この度の講演録は、その松下さんの思考や活動の道筋がよく分かるものとなった。目次を掲げておきたい。
暗闇の思想(特別収録)
1 私の現場主義
2 豊前火力と闘う
3 暗闇の思想 1991
4 私はなぜ記録文学を書くか
5 伊藤ルイさんを語る
6 弱い人間として
7 私の中の弱さとの闘い
出会いの業 解説にかえて[藤永 伸]
解説の藤永さんはジャイナ教の研究者であり、これまでにない視点から松下さんについて書いていただいた。

松下竜一の初めての講演録。既知の読者にも、立ち止まって何事かを振り返る大きな手掛かりになることと思うが、きっと、今の時代だからこそ、若い人たちにもその静かだが力勁(づよ)い“肉声”が届くはずだと思う。
1988年、東大入学式講演「私の現場主義」から一部掲載する。この時点から四半世紀を経て、さて我々はどれほど遠い所へ行けたのだろうか。
チェルノブイリの原発事故が世界に向かって明らかにしたことは、核兵器と核の平和利用といわれる原発とは、全く同じものなんだということであります。つまり100万キロワットの原発が1年間動けば、その炉内には広島型原爆1000発分の死の灰が貯まります。それがあの時、世界に撒き散らされてしまった。幸いにも、撒き散らされたのは炉内にあった死の灰全部ではなかった。後に、アメリカの有名な博士が「チェルノブイリの事故は、実は400倍もの規模の事故になり得ていた」ということを言いますけれど、つまり全部噴き出したんではなかったというところに救いがあったわけであります。それですら世界を環境汚染してしまった。
そして今や、放射能に汚染された食品が世界中に出回っている。ここでもまた、繁栄している国と低開発の国との問題が生じてきております。自分たちが原発を動かし、核のゴミを、核廃棄物をどんどん産み出しながら豊かな生活を送っている。そしてその結果、放射能汚染の食品が出てくると、それらの食品を低開発国に押しつけて、逆に自分たちは豊かな資力によって安全な食品を確保しようとする。回り回って、放射能に汚染された食品が原発を持たない国々に行ってしまう。
今、反原発運動をやっている者たちの間で、「日本は36基の原発を動かしてしまっている。それを止める力が自分たちにはない。そうであるならば、自分たちには汚染食品を拒否する資格はないのではないか。自分たちは放射能に汚染された食品を食べるべきではないのか。原発をやっていない国々に汚染食品を押しつけていいはずがない」、そういう非常に苦しい、厳しい自省の声が起きております。まさにそういう図式に至っているわけです。
私は、若い皆さんがこういう問題に対してあまり関心を抱かないことを、どう考えればいいのか分かりません。今や核の問題というのは、それこそ、これからの時代を担う皆さんの双肩にかかってくる、そういう問題であるはずなんです。明日にも、チェルノブイリ級の事故が、日本のどこかの原発で起きるかもしれない。その時にはもうこの狭い日本列島、どこにもその汚染から逃れる場所はありません。そういう状況に対して、なぜ若い人たちが声を挙げないのか、と思わざるを得ません。
●松下竜一講演録『暗闇に耐える思想』(花乱社選書 1)
●A5判/160ページ/並製本
●定価1470円(税込)
●2012年1月14日発行
*本自体は12月26日に出来上がりますので、直接ご連絡をいただければお送りします。