■松下圭一と松下竜一 |
毎度、私の原稿の遅延が足を引っ張っているブック・ガイド誌『心のガーデニング:読書の愉しみ』の120号(2011年11・12月)。
前々回の分と少し話がだぶっているが、加筆した上、転載しておきたい。
●無関係だけど、二人の松下氏の話
大学3年の夏に肺結核を発病(肺結核経験について少し触れた記事→「胸」に潜めた座標軸──川上三太郎氏講演を聴いて)、2年間の休学を挟み3年生を2回経験したので、足掛け3年間、私は──「恩師」と言うのは憚られるが──松下圭一教授のゼミで学んだ。
ウィキペディアには「松下圭一 1929年、福井県福井市生まれ。旧制福井中学、第四高等学校を経て、東京大学法学部卒業。日本政治学会理事長や日本公共政策学会会長を歴任した。丸山眞男門下としても名高い。マルクス主義全盛の時代潮流において大衆社会論を引っさげて論壇に登場し、江田三郎の構造改革論や、地方自治のイデオローグとして活躍した」とある。
当時、松下教授は40代半ば、まさに油の乗りきった時期であり、一般講義は勿論、ゼミの人気でも学内有数、来る者は拒まずというのがその方針だったので、私が入った最初のゼミでは30人以上が集まっていたと思う(勿論、後で10人程度に減ったけど)。
教授の口癖は「僕はマルヤマシンダン(と、いつもあえて音読みしていた)の異端の門下生」というものだったが、その丸山眞男の息子だと噂される学生が私と同じクラスに居た。丸山君はいつも、教室に入るや否やテープレコーダーをセットし、講義の間中、俯せになり眠っていた。
政治学講義のテキストは、教授自身の手になる『現代政治学』(東京大学出版会)。この横組みの本は、左ページに本論(問題提起)、右ページに注記や引用など討論の素材を掲げるという、当時としてはユニークな構成であった。その「序章」に「政治は個人自由の制度的保障を課題とした人間の行動の組織技術である」という実に簡明な定義が掲げられているごとく、デモクラシーを推し進めるためには、大衆を啓蒙していくことより一人の有能なテクノクラート(行政マン)を養成した方が確実だ、というのが松下教授の基本的な考え方であった。また時代風潮にも敏感で、「大衆天皇制論」、「ミッチー・ブーム」、「シビル・ミニマム」などの用語も教授により広められた。
こうした、その時々の時代状況を踏まえ目的合理的な政治学を構築していこうとするところが、「(政治思想史が専門の)丸山眞男の異端の門下生」たる所以(ゆえん)だろうと当時の私は理解したが、それでもやはり──大江健三郎に読み耽った受験期を経て──“政治思想”にも惹かれていた私は、ある時、先生はなぜ、それほどオープンかつ冷静で、徹底的な合理主義者なんですか、と尋ねた。
若い頃、福井地震(1948年、教授18歳)に遭い、戦後復興まもない街が一瞬で崩壊するのを見た。それから僕は、永遠性ということにも、社会的なロマンティシズムにも幻想を一切持たなくなった──というのが教授の答えだった。因みに、後者(社会的な…)の話で思い出すのは三島由紀夫事件、それに浅間山荘事件で、その記憶は未だ生々しかった。
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前置きのつもりが長くなってしまったが、16年前の阪神・淡路大震災の時も、この度の東日本大震災に際しても、私はこの松下教授の言葉を思い起こした。──例えば、今、18歳であることは一体どういう経験なのか、と。
そうした時に“再遭遇”したのが、全くの偶然ながら松下教授とは一字違いの松下竜一氏(1937~2004年)の言葉である。
「今や核の問題というのは、それこそ、これからの時代を担う皆さんの双肩にかかってくる、そういう問題であるはずなんです。明日にも、チェルノブイリ級の事故が、日本のどこかの原発で起きるかもしれない。その時にはもうこの狭い日本列島、どこにもその汚染から逃れる場所はありません。そういう状況に対して、なぜ若い人たちが声を挙げないのか、と思わざるを得ません」(東大入学式講演「私の現場主義」1988年)
23年前、既に松下氏はこう予言していたではないか、と言いたいのではない。私も声を挙げてこなかったし、今でも一介の傍観者であるしかない。それに何より、松下氏は「天罰…」などと口走る人ではない。ただ、「時代閉塞」状況が年々加速度を増す中、「私は今、このように生きていていいのか」という、一人一人の声にならない呟きに対し、真剣に何事かを語り掛けようとする言葉を久しく聞いてこなかった、という想いに私は駆られる。
「いわば、発展とか開発とかが、明るい未来をひらく都会志向のキャッチフレーズで喧伝(けんでん)されるのなら、それとは逆方向の、むしろふるさとへの回帰、村の暗がりをもなつかしいとする反開発志向の奥底には、〈暗闇の思想〉があらねばなるまい。(略)月に一夜でも、テレビ離れした〈暗闇の思想〉に沈みこみ、今の明るさの文化が虚妄ではないのかどうか、冷えびえとするまで思惟してみようではないか」(「暗闇の思想」〔「朝日新聞」掲載〕1972年)
1973〜99年の間になされた講演7本を収めた松下竜一講演録『暗闇に耐える思想』(花乱社選書1)を1月に刊行する。社会的なロマンティシズムというほどのことでは更々ないが、気に掛けてくれている人と見知らぬ誰かに宛てて、出版を通した言伝をさらに続けていきたい。今なお松下教授の不肖の教え子だとしても。
→花乱社HP