■“大量コピー”としての本、そして野呂邦暢自筆原稿の行方 |
それが、画家はただ一枚の絵を描いているんだぞという、菊畑氏一流の挑発の言であったことは言うまでもないが、私は、まずは「出版」というのは、どこまで行っても何かの創作や表現行為そのものとは違う、勘違いするな、という戒めとして受け取った。
無論、出版社や編集者の仕事は、単に原稿を「コピー」し本にしているだけではない。だが、それにしても、「本は原稿の大量コピー/出版社は大量コピー屋」という“当てこすり”方も、なんだかもう古臭く感じられる。
その流れで言うと、今、私たちが相手にしているのは、ほとんどは、これもあまりそぐわない表現だけど、「データ」だ。大半は「ワード」ソフトで作成された「原稿=テキスト・データ」が、CDにて送付もしくは電子メールに添付されて送信されて来る。私たちはそれを、編集ソフトで作ったPC上の「鋳型」に流し込み、あれやこれや細々とした加工を加え、ものによっては一日で「本」用の組版データに仕上げてしまう。
そして今や、電子書籍という、大量コピーならぬただ一つの「データ」が、仮想の空間の中で売り買いされる時代となった。まあ、電子書籍(データ)を取得する行為自体も、「コピー」とは言えるが。
大量コピーから一点物のデータ作成へ……。近い将来に「紙の本」が無くなることはないにしろ、また当面のデータ編集という作業の中身は変わらないとしても、より「編集」という(ソフト面の)行為の意味が問われてくるのは間違いないことだろう。
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先日、ある勉強会後の酒席で、たまたま野呂邦暢(1937〜80年)の話になった。私は決して野呂作品の威張れた読者ではないが、これまで何度か、その代表作品選集を出したいと思ったことがある。けれど、たまたまその時、文藝春秋により一巻作品集が刊行されたり(まあ、当然だけど)復刊されたりで気落ちし、近年は、どうやらみすず書房にも野呂ファンの編集者がいることを知った。
それはともかく、芥川賞受賞(1973年下半期)の代表作『草のつるぎ』に話が及んだ時、なんと、その勉強会仲間の古書店主が「私は『草のつるぎ』の自筆原稿を持っている」と言う。なんでも、だいぶ以前の糴(せ)りの際にそこそこの新車程度の金額で落としたらしい。初出掲載時の編集者によるものと思われる赤ペンでの組み方指示も書き込まれているとのこと。多くは語らなかったが、相当な野呂ファンだったのだと察した。手放す気はない、と。
野呂氏もオリジナルに相当拘った人だったようで、自筆短編原稿を別途に複数書き上げて頒布するなどもしたらしい。
長崎市出身、静謐な文章(特に『諫早菖蒲日記』がいい)を書き、43歳で逝った作家。その短命さは惜しむべきだが、いわば“見晴らしのよい”表現そして作家人生だからこそ、私たちの中の熾火のごとき蒼さを刺激するのだろうか。

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私自身は今でも、校正紙に目を走らせる時だけでなく、プリントされた原稿を読む際にもつい赤ペンを握ってしまうが、それにしても、最早私たちが相手にしているものの大半は、オリジナルな「原稿」ではない。それは──単にコピーではないとしても──複製を前提にとりあえず“活字排列”の仮装をしたデータだ。名前が記されていなければ(そしてそれを信じなければ)、誰が書いたものかも分からないものだ。
何かの想いや経験やイメージやメッセージを、キー・ボードにて打ち込み、PC画面上でその文字化を確かめて先に進める、という作業自体の中で既にして、少なくとも“物”としてのオリジナル原稿は問題となっていない。翻って言えば、それが活字だとか印刷だとかのそもそもの宿命、と言うより機能だろうし、そうした意味では、電子書籍こそは「省資源」や「省スペース」の点からしても最強、ということになるのだろう。
八十路近くになろうともキャンバスに向かいつづける画家、時流に背を向け自分の字で原稿用紙を埋めつづける作家(ついでながら、新芥川賞・田中慎弥氏の都知事への“あてこすり”方は快哉ものだ)、そして、自己の経験と直観と感性を信じて一束の作家自筆原稿を結構な金額で購う古書店主──いずれも、ひたすらオリジナルを求め、窮めようとしていることでは変わるところはないだろう。
私個人としては、野呂作品に改めて大きな光が当てられ、「洛陽の…」ならぬ「草つる」生原稿の“紙価”が高まる日が来ればいいだろうに、とは思うが。