■釜山、下関、そして『共喰い』 |
改めて釜山、そして下関のことを書いた(少し加筆)。
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釜山から下関へ──海峡都市の光と闇
最初に訪れたのは二十数年前、特にこの10年程は、日本のどこかの温泉に行くよりはと、結局年2回位、釜山行きを続けている。人口約400万、韓国第二の都市。
まず、街の活気と人々の熱気に魅き付けられる。日本ではあまり人込みに近づきたくないほうだが、釜山では雑踏に紛れ込んだり佇んだりすることが愉しい。新・旧のものが入り乱れ共存する街、毎夜が祭りのごときその喧噪。耳をつんざく大音量で韓流ポップスを流す化粧品その他小商いの店々。屋台のおばちゃんたち、それに道行く若い女性たちの堂々たる元気よさ。
そして、私にとって大事な「食」。町じゅう至る所で営業中らしき、ハングルが読めぬ者には謎めいた飲食店の数々、売れ残ったものは一体どうするのかと要らぬ心配をしたくなるほど莫大な量の食材市場の品々……何度訪れても釜山人の食への欲望には圧倒される。
ひとことで言うなら、釜山に行くと血が騒ぐ。
これだけ愉しませてきてもらい、一方、その対岸・福岡市でこれまで出版の仕事に携わってこられたこと──いわば玄界灘を挟んだ両都市への“恩義”に対し何か返すことができないか、と思い続けてきた。
それがつい最近、一つの縁がつながり、下関市に所在する大学の韓国出身の教授と出会い、年来の願い──「釜山」本の出版──が実現できる見通しが立ってきた。日本在住ほぼ40年、母国でも著作集の刊行が始まっているほどの業績を積み重ねてこられた方だ。
かつて母から、戦時中、ソウルに駐留していた父に一人で会いに行ったという話を何度か聞いた。今の私は気軽に飛び立つことのできる地だが、その当時、おそらく母にとってはそれなりの覚悟が必要な旅であっただろう(そう言えば、釜山への初旅行は母も一緒だった)。そうしたことからも、単なるこじつけと思われるかも知れないが、この一番身近な隣国に関し、私は私の職分において、自分にできることをやり遂げたいと思う。
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さて、同じ姉妹都市仲間である下関市は、釜山とは福岡市以上に深い関わりの歴史を持っている。北九州市出身の私にとっても親しい土地だ。私の幼い頃、町工場を営んでいた父は、大晦日には決まって、私たちをトラックの荷台に寝かせ、関門トンネルを潜って唐戸市場へ鰤の買い出しに行っていた。手っ取り早く海水浴に行くのは、下関の山陰側の浜辺だった。さらに、私がこの三十数年暮らしを共にしている人は、下関市長府町の育ちだ。
明治維新の舵取り、捕鯨基地としての繁栄、関釜連絡船の哀歓など近代史に鮮やかな軌跡を残すこの町が、しかし現在、どこか取り残された風情を漂わせているのは何故だろう。確かに(山口県下主要都市の例に漏れず)表通りは広くて整備され、そこそこのビル街もあるが、どこか閑散としていて、レトロ・ブームに乗っかった町おこしをするには気位の高過ぎた地方都市の、それこそ “書割り”の姿に見えなくもない。
勿論、そのように乱暴に一つの“町”のことを言ってのけていいはずはないし、山陽・山陰両沿岸を抱え九州島と対峙する海峡都市・下関の、おそらく瀬戸内側が色濃く醸し出していると思われる──壇ノ浦の海岸べりで昼寝か釣りかをしているごとき──のっぺりとした空気感を、私は決して嫌いではないのだが。
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そういう事情も絡んで、私としては久し振りに、受賞直後に芥川賞作品を読むことになった。田中慎弥氏の『共喰い』、結局2回読んだ。
一度目の感想はひどいものだった。正直、何故これが芥川賞? と思った。朴訥ともぞんざいとも感じられるあの下関弁の会話と17歳の主人公の心理に即して執拗に綴られる風景描写や性交場面・性的イメージとが、いかにも継ぎ接ぎされたもののように感じられた。それに、あれこれの比喩が生硬すぎる。当然私は、読みながら村上龍や中上健次の初期作品を思い起こし、比較した。
それでも、なんだかこのままにしておけない気持ちに促され、もう一度やや時間を掛けて読み直し、少し感想が変わった。全く逆転したとまでは言えないが、それなりの目論見と味わいが感じられる作品として読めた。
父親像がそれほど描き込まれていないことはともかく、女性たちがなかなかに負けていないし、物語のクライマックスへと持ち込んでいく、躍動に満ちた切迫感の描出は「力業」と言っていい。
ただし、私の職業柄、文章技法でやはり気になるのは、
父は聞いていなかったように、
「わしの子、持ち逃げしやがってから。」と下駄を履き、水になった道を駆け出してゆく。
というような表記が散見されること。これは「 」部分を前の行に続けるか、もしくは「と下駄」以下から別行にしてほしいところ。このごろの“文壇編集者”は、そうしたことの手直し(もしくはその提案)すら憚るのだろうか。
作者はこの物語の時間を、平成に改まる半年前に設定した。猥雑で陰惨なストーリーを、健全なるがゆえのユーモラス(=ヒューマン)な効果を狙った下関弁(「馬あ君は、殴らんっちゃ。ほやけど、こんなんでええっかっちゅう疑問持つの、正しい。」、「それ、間違〔まちご〕うちょると思う。経験と努力の問題やない?」……)が下支えしているが、それはこの20年で私たちが徹底的に失ってしまったものの象徴だ。父子が“共喰い”をしてしまう「昭和」は、そして時の流れに置き去りにされる「故郷の町」は、流離(さすら)い続ける私たちをいつまで撃ち続けてくれるだろうか。