■松下圭一と松下竜一 2 |
新木さんは、長年松下竜一氏に伴走、「草の根の会」の記録係もと言える方で、『暗闇に耐える思想』の編者のお一人でもある。これまで私は新木さんの著書『宮沢賢治の冒険 』(1995)、『松下竜一の青春』(2005)、共編で『松下竜一未刊行著作集』全5巻(2008〜09)の出版をお手伝いしてきた(最近作『サークル村の磁場──上野英信・谷川雁・森崎和江』〔2011、以上いずれも海鳥社〕の初校提出後、私は前の会社を辞した)。
記事は『月刊 労働問題』1979年5月号「特集 文化と運動の現状」中の対談「草の根の民主主義の意義と思想」。
両松下氏に接点があるなどと私は考えていなかった。松下圭一49歳、松下竜一41歳。写真に見る松下先生は私の記憶の中の像より若く、颯爽たる市民運動イデオローグの風貌だ。
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当時、竜一氏は、「新全総」の一つの柱として打ち出された周防灘開発計画の中で最初に具体化した豊前火力への反対運動の渦中にあった。発電所建設反対運動を始めたところ、漁業者が補償金をもらって賛成に回ってしまい、漁業・農業に関わりのない「後背地市民」として暮らしの面からの権利を言い立てることもできないので、やむを得ず、(当時は認知されていなかった)「環境権」を主張して裁判を起こすことになった経緯から話は始まる。
ところが原告はわず7人、弁護士もついてくれないので、「本人訴訟」ということで提訴することに。裁判中に福岡県が九州電力に埋立て免許を出し、九電が強行着工、結局、発電所はできてしまう。
それに応えて圭一氏は言う。
「私は、市民運動というのはつねに少数者の運動だと思う。ただ、取り組む争点によって拡がる可能性のある場合もあるが、でも市民運動は構造的にたった一人の反乱です。そのたった一人の反乱が何人か増えていけば幅が広くなる。基本的にはそういうものですよ。少数者運動だとわりきっていたほうがいい」
対話はこのように、あの寡黙な(はずの)竜一氏が熱っぽく自分たちの“戦い”を語り、それに対して圭一氏が非常にクールに市民運動の理念や「市民自治」の可能性を論じる形で進む。
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圭一「私が『市民』というのは、結局、自分たちの地域は自分たちでつくるんだという、市民自治の意識をもった人びとということなんで、発想転換というか、思想革命が必要です。だから発電所反対の場合もそうですが、最初はエゴイズムでもかまわない。ところがいま全国いたるところで受け入れを拒否されているため、弱いところが狙い打ちされている。だがその弱いところも頑張りはじめたら発電所はどこにも建てられなくなる。そうすると、あなたがいう、いわゆる『暗闇』にはいってくる。では、それでよいということにするのか、いややはり発電所は必要だということで立地場所その他について相互に議論しあおうではないかということになって、はじめて市民自治の思想革命が計画論にはいってくる、自治体計画から国土計画へというように。だから暗闇の思想というのは、そこへいくテコだと私は思う」
竜一「昔のような一見はなばなしい住民運動はたしかに減っていると思いますが、エネルギー問題なんかみても、『暗闇の思想』みたいなものが非常に普遍化しているいうことはあると思います。非常に印象的なことは、73年末の石油ショックのときに、われわれの主張が現実になった、世論もそうなるだろう、これで裁判も勝てると思った。ところが、その後の経過はやはり〔これで勝ったという〕九電の読みどおりになった。というのは、あのときの国民の反応は、銀座のネオンを消したり、関門のイルミネーションを消したりして、薄暗いなかで、こんなふうになったら大変だ、だから電力だけは確保しようというほうにすりかわったわけですね。環境問題は二のつぎでいい、悪い石油でもいいから電力だけは確保しようというのが石油ショックの時点での世論だった。こんにち、慢性的不況のなかで、石油ショックのときの発想の逆転みたなものがしだいに沈静化されてきたというか、不況になれることによって、『暗闇の思想』的な発想といいますか、生活の基本的なものだけを確保すればいいんだという考え方、あるいは生活の質を問い直す傾向がしだいにひろがってきている」
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最後まで、話が噛み合っているのかどうか分からない対談だが、はっきりしているのは、一部分を抜き書きしているだけでも、これが33年前のものとは思えなくなるということだ。
竜一氏はしきりに従来の労働組合運動への違和感を語るが、では現今、労働組合運動のみならず、「市民自治」へ向けた市民運動といったことに、さてどれほどのリアリティがあるだろうか。今、大阪府・市で進んでいるのは「市民自治の意識をもった人びとの思想革命」ですか、と松下先生に聞いてみたくなった。
→花乱社HP