■「水」の話 |
今いる事務所は、結構年季の入った5階建てビルの4階にある。当然、水の出も緩いし、さすがにここでは水道水を使いお茶やコーヒーを飲むのはためらわれる。そこで、創業時から2リットル入りのペットボトルを箱買いするようにしてきたが(昨年の震災後しばらくは難渋した)、この半年ばかりは、近所のスーパーマーケットが、店オリジナルの3リットル入りペットボトルを500円で購入すれば一日1本分のアルカリイオン水をサービスというのを始めたので、随分と助かっている。勿論、先方の思惑通り余計な物を買うことも多いが。
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確か、この前亡くなった吉本隆明がどこかで、日本でミネラルウォーターが一般発売され始めたのは1970年代半ばであり、それが次第に「水と空気はただ」と思っていた日本人の感覚を根本的に変えていったという意味で、この時期を「戦後」の大きな画期とする中での一つの指標としていたことを思い出す(こうした戦後の区切り方は、以降、加藤典洋・小浜逸郎・大澤真幸らに引き継がれることになる)。ちなみに1972年には浅間山荘事件が起きているが、ここから戦後学生運動は終息に向かっていく。
今、ウィキペディアで「ミネラルウォーター」の項を見ると、
【1960年代には大手酒類メーカーが業務用としてミネラルウォーターの販売を開始。一般家庭には、1983年にハウス食品『六甲のおいしい水』・サントリー『山崎の名水』が発売されたことをきっかけとして普及。日本国外のミネラルウォーターは、1980年代終盤から1995年にかけて輸入量が急伸し、これにより一般に普及した】
とある。吉本説とは多少年代がずれるが、後者を前提にしてみれば、敗戦後からおよそ40年、そして現在はそれからおよそ30年。「水を買う」ことがこれほど日常的になるとは、私の父親世代からすればきっと不思議な光景であることだろう。
その父は、40年以上前の一時期、大分・塚野鉱泉の水を樽で取り寄せていた。それは水道水への不信からではなく、小さい時から内臓が強くなかったので、体質改善のための「冷泉飲用治療」が目的だったようだ。
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ふと、これでは父を笑えないなと思うことがあるのは、私にもここ十数年の間で、切らすのことのできなくなった「水」があるからだ。
それは、くじゅうの黒岳山麓にある白水(しらみず)鉱泉(由布市庄内町阿蘇野)の天然炭酸水。くじゅうの中でもあまり通らない道沿いだが、山好きには知られているはずだ。
飯田高原から20分程で男池登山口。ここから黒岳、それに大船山、平治岳へ登る人が多い。中でも黒岳─大船山縦走は結構ハードだが、色々な路と景色が楽しめる。
ドライブがてらなら、登山口からしばらく進んだ自然林の中のそぞろ歩きが気持ちよい。ちなみに、近くの男池の水も著名だが、さて味はどうだろうか。
男池登山口から細道を10分走れば右手に白水鉱泉。広い敷地、水汲み場にはたくさんの蛇口が並んでいる。その場で飲むのはただ。このところ私は、20リットル入りポリタンク(水汲み代500円)を6個は持参する。これで半年以上は持つだろうか。
相当以前、登山の帰りに立ち寄ったのが始まりで、いつしか欠かせなくなってしまった。その無味無臭の清冽さ、とりわけ二日酔いの朝などは最高だ。内臓全体に“自然”が行き渡る感じ。比較するまでもなく断言できるが、ここの水が世界最高だ。次第に炭酸気はなくなっていくが、水自体は何年も大丈夫らしい。
ついでながら、ここは大正時代からの商いらしいが、何故か、係の人たちはほとんど愛想がない。水ではなく油を売っている様子、というわけでもないけれど……。


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他人のお尻を見せて終わるのもなんなので、ついでに3年前に撮った大船山の紅葉写真を載せておこう。5月の新緑も勿論鮮やかだが、やはり秋がいい。
[段原付近]

[大船山頂の御池]
