■花乱社選書、2冊同時刊行 |
読者カードから一部紹介したい。
●松下竜一という、人間や社会に対して鋭い眼をもっていた稀有な作家に再会できる良い本でした。3.11後の日本(人)にとって松下さんのような視点こそ必要だと思います。[静岡県・男性・63歳]
●松下さんの作品系列がわかる配列で、本書により再度松下さんの作品を読んでみたいという人たちが出てくるのではないでしょうか。特に最後の7章(「私の中の弱さとの闘い」)からは、松下さんの思想の現代的な意義を読み取ることができます。[福岡県・男性・50歳]
●松下さんの言われていたことが今や現実の姿となり、我々のくらしぶりを変じる時期になった、と実感しています。[群馬県・男性・62歳]
●師……まさに人生の師と思った20代の頃、それはいささかも変わることなく、今に至っております。1972年──今から40年前に書かれた「暗闇の思想」は、まるで今書かれたもののように、全く色褪せることなく、世に問えるものです。[山口県・女性・58歳]
●期待通りの書籍でホッとしました。手に入れることが出来て喜ばしいです。[北海道登米市・男性・78歳]
それぞれの方にご返事を出すことはないが、出版元としては、これら一枚、一枚が購入していただいた方とのささやかな「応答」の完成であり、発行して良かった、選書創刊第一冊目にして良かった、との思いを持つ。
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今月、その花乱社選書の2、3を同時発売することになった。
まず、石瀧豊美さんの『筑前竹槍一揆研究ノート』(1575円)。
石瀧さんは現在、日本有数50年の歴史を持つ福岡地方史研究会の会長であり、福岡県地方史研究連絡協議会(福史連)の副会長。明治維新史学会、教育史学会、軍事史学会に所属。
1981年、30歳の時『玄洋社発掘──もうひとつの自由民権』(西日本新聞社)で颯爽と登場、以後、近代史、教育史、地方史、部落史などの分野で着実に仕事を重ねられ、福岡における地方史研究をリードしてこられた方だ。
私は、石瀧さんとはこの20年、福岡地方史研究会編の『福岡歴史探検 1・2』(1991・95)、『福岡藩分限帳集成』(1999)、『福岡市歴史散策』(2005)の刊行、2002年からは同会の年報『福岡地方史研究』の制作・発売(第49号から小社が担当)を通し、一緒に仕事をしてきた。そして、石瀧さんの単著『玄洋社・封印された実像』(2010)が前の会社での最後の仕事(これは玄洋社研究の集大成、名著と言っていい)。
今回の本は石瀧さんの筑前竹槍一揆関係論文を一書に収めたものだが、中でも巻頭の「筑前竹槍一揆と『解放令』」は、地方史研究における石瀧さんのもう一つの出発点と言える論文だ。一揆の持つ権力への抵抗の姿、大衆性、戦闘性といったものへの(大衆的=進歩的という図式に則った)共感を背景に持つ従来の民衆史観から離れ、“民衆”それ自体が厳然として持つ差別性を直視すべきだ、という基本モチーフは、執筆から26年経った現在でも決して古びていない。文章は明晰、考証は緻密、史料引用もあるが、石瀧さんの論理的思考は読者を迷わせることがない。
少し前から、巷、特に若者の間で「一揆がしたい」という声を聞くことがある。「革命」ではなく「一揆」。勿論或る種の気分の話であり、そこに引っかけるのもなんだけど、少なくとも新刊書店では「竹槍一揆」をテーマにした本が全く流通していない今日、参加人員10万とも30万ともいわれる日本史上最大の「農民一揆」の実態を知っておいてもらえたらと思う。
去る3月14日、「朝日新聞」夕刊の連載「人脈記」の「孫文がいた 9」で石瀧さんのことが紹介された(記事を部分掲載)。肩書きが「郷土史家」となっているのにやや違和感を覚えたが(ここでなら「玄洋社研究家」としたい)、そこはかとない憂い顔は──30年以上も「中央」による誤った玄洋社認識を問い質そうとしてきた「草莽兵士」のごとき古色を感じさせて──良かった。
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もう一冊は、楜沢健他著・三人の会編『葉山嘉樹・真実を語る文学』(1680円)。
葉山嘉樹(はやまよしき、1894~1945年)は福岡県京都郡豊津村(現みやこ町)生まれ。プロレタリア文学の代表的作家で、主要作品に『セメント樽の中の手紙』、『海に生くる人々』、『移動する村落』など。『セメント樽…』は一時期教科書に取り上げられたかで、若い人のほうがよく知っているようだ。
編者・三人の会(堺利彦・葉山嘉樹・鶴田知也の三人の偉業を顕彰する会の略称)は、1956年に堺利彦顕彰会としてみやこ町で発足、昨年話題になった黒岩比佐子の『パンとペン──社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)にも取材協力をしている。本書は、昨年11月に同会がみやこ町で開催した講演会「葉山嘉樹と現代」の記録をベースに、その全体像と魅力を伝えるため主要な論文・エッセイなどを併せ、初めての葉山嘉樹論集として編んだもの。序文は佐木隆三氏にいただいた。
とりわけ、巻頭の楜沢健氏(文芸評論家、『だからプロレタリア文学』〔勉誠出版〕など)講演「だから、葉山嘉樹」が面白い(私は講演を聴いてすぐに、70年代刊行の『葉山嘉樹全集』全6巻〔筑摩書房〕を古書価1万円程で買った)。これは「『蟹工船』よりも『セメント樽の中の手紙』の方が断然、今の時代にぴったりのはずだ」とする同氏が、葉山がプロレタリア文学の範疇を超えて世界文学につながる作品を生み出したことを明らかにした上で、社会的格差や貧困が新たな様相のもとに問題となっている現代でこそ読まれるべきだとして、葉山嘉樹の現代性に焦点を当てたもの。丁寧・懇切な語り口の中に、理不尽な時代や社会に対して「口を噤んではいけない」という強い想いが感じられ、ぐいぐい惹き付けられる。
1944年、葉山は開拓移民として「満州」に渡り、45年10月、引き揚げ列車の中で病死した(52歳)。一時期船員であったことからその足跡は日本各地に残り、室蘭市・岐阜県中津川市・長野県駒ケ根市、それにみやこ町に葉山嘉樹文学碑がある。本書タイトルは、中津川市とみやこ町の碑に彫られている「馬鹿にはされるが真実を語るものがもっと多くなるといい」(葉山の好きだった言葉)から取った。
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これで選書3冊となったが、社内宇野が「こう並べると、えらく硬い本ばかり出す出版社ですね」と言った。私自身は、「他人の行かない細い道」ばかりを選んで歩きたいと思っているわけではない。ただ、たとえ今や“電子書籍行き”の「護送船団方式超満員バス」が発車寸前であろうが、一人(著者)と一人(読者)が出逢う路地のごとき「本」というものの本質は変わらないだろうし、──「家路」メロディーを耳にしながらも遊び続けている子供のように、だとしても──まだ私がここで果たすべき「用事」はたくさん残っているように思う。