■吉本隆明についてのメモ |
文字通り全くのメモでしかないが、どれほど稚拙であろうとも、吉本隆明に対し、自分の言葉で「さようなら」を言わなければならないと思うほどの恩義は、私にもある。
高橋源一郎は「吉本さんの、生涯のメッセージは『きみならひとりでもやれる』であり、『おれが前にいる』だったと思う。吉本さんが亡くなり、ぼくたちは、ほんとうにひとりになったのだ」(「朝日新聞」3月19日)と書いた。その謂(いい)は私にもよく受け取れる。
●吉本隆明についてのメモ
来るべき日がやって来た。3月16日、吉本隆明死去。
奥手だった私が、上京し大学に入ってすぐに遭遇したのが、「マルクシズム」と同時に「吉本隆明」だった。
マルクシズムは勿論、西欧文明全体を問い直す巨大な知の体系であるが、マルクス=エンゲルスの著作について、当時の私は初期のものにしか関心を持てなかった。
吉本隆明については違った。それは敗戦後のこの国を問い質す現在進行形の思想であり、一度出会ってしまうと、“通過儀礼”としてだけでは済まされなくなった。
今実際に振り向けば、私の書棚で一番場所を占めているのは吉本隆明の本。ものの考え方の根本的な骨格を学んできたのも──彼と対峙しつつ自らを構築した団塊世代の表現者による吉本解釈から得たものを含めて──やはり吉本からだった。
吉本隆明がいなければ、「対幻想」や「心的現象」や「転向」や「マス・イメージ」などについて──少なくとも今持っているような概念の形では──対象化する視点を得られなかっただろうし、「親鸞」や「ヨブ記」に思想的関心から近づくことも、“戦後思想における丸山真男”の相対化に際会することも、おそらくなかっただろう。
しかしながら、彼について何らかまとまったことを言うのは、いつまで経っても困難だ。全くのメモでしかないが、ここで二つのことを記しておきたい。
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『悲劇の解読』(1979年)は太宰治、小林秀雄、宮沢賢治らを取り上げた格調高くして難解な作家論だが、その「序──批評について」の冒頭で吉本はこう書く。
「批評の最大の悩み、公言するのが耻かしいためひそかに握りしめられている悩みは、作品となるべきことを永久に禁じられていることだ。(略)とるに足りない作品をえらんでも、また誰もが古典として尊重する作品をえらんでも、作品を対象とすること自体は作品から遠ざかることである。作品には骨格や脊髄とおなじく肉体や雰囲気が必要なのに、作品を論じながら自らを作品と化するというのはそれ自体が背理としてしか実現されない。批評が批評として終りをまっとうすることは作品にならない言葉を、酒の酔いや幻覚など一切かりずに綴りつづけることを意味する。近代批評は、辛うじてひとりの批評家(小林秀雄を指す──引用者)をのぞいて終りをまっとうしていない」
この本に出合って以後、私は今日までずっと、ここで言われている「批評」を、評論文一般や本をめぐる散文などにまで当て嵌めて考えてきたように思う。仮に一冊の本や一人の作家について好きとか嫌いとかといった実感をもとにいくら論(あげつら)ったとして、どう逆立ちしてもその文章自体が「作品」となることは「永久に」ない。そこには決定的な何か──吉本はそれを「悲劇」と、そして批評は「悲劇」を演ずることができないと言う──が必要だ。
このことは、文学や思想の世界に限らない話ではないだろうか。音楽や絵画、写真・映画、それにファッションですら同じことが言えるはずだ。作品と対峙できるほどの「肉体」や「雰囲気」(芸のことか?)を持ち、永久に禁じられた「作品」となるべき道をひたすら追い求めた批評家が、どういう世界にも居るのではないか。その批評でもって作品や作家の新たな相貌を浮かび上がらせてくれ、私たちがどのような時代や世界と向かい合っているかまでをも知らしめてくれる批評家が居たのではないか。「批評」というものが信じられ、求められた時代までは。
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もう一つの話として──今ここで出所を明示することができない──、戦時期の吉本は最終的には皇国少年であったが、時局が次第次第に差し迫っていく中、これまで私淑してきた物書きたちがたった今何を考えているのか、そうした文章をどれほど読みたくても(当然ながら言論統制により)叶えられなかった、だから戦後自分は能う限り書き続け発表し続けようとしてきた、という趣旨の文章を何度か読んだ。実際彼は、1961年、吉本ら三同人で創刊され、後に自己の単独編集となった雑誌『試行』に、36年間書き続けた。そして、どれを手にとっても、何らか示唆やカタルシスを得ることのできる書物を世に送り出してきた。
誰もが(原則的には)自由にリアル・タイムで発信でき、膨大な情報が飛び交っている現代からすれば何でもないことのようだが、これは吉本の「思想」に対する姿勢(鶴見俊輔なら「思想の態度」と言う)をよく示している。戦前の左翼思想を取り上げる時、当時の反体制活動家が、自らの家庭内や潜伏生活の現場で、現実には女性関係においてどれほど封建的であったかを指摘し、これは思想に生きる人間一般の問題として克服されるべきだ、などと記した文章を読んだ時代も今や懐かしい。
主義主張以前の生き方や日々の暮らし方がその思想の“正しさ”を規定する、というようなことを明確に説いた者は、吉本以前にはほとんどいなかったのではないか。
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30年程前、吉本隆明と一度だけ会ったことがある。彼を迎えた7、8人の会食の場、私はその末席だったが、当時私が読むべき筆頭の思想家と考えていた人の謦咳(けいがい)に接する嬉しい機会だった。私の第一印象も、よく言われるように大工の親方のようだというものだったが、そのネクタイが不思議によく似合う“棟梁”が、誰からのどのような質問にも実に丁寧に答えていた姿が心に残った。
きっと現在、どこかで彼の全集が目論まれているはずだ。100巻を超えるかも知れないその全集を介し、オウム真理教事件以降どこかしら遠ざかってきた私に、改めて吉本隆明と向かい合う時間が残っているだろうか。
ともあれ、私たちは、「終わりまでまっとうした」もう一人の批評家を同時代に見ることができた。