■宮迫千鶴さんとのこと |
久し振りに雨が上がった朝、その訳が分かった。昨19日は、宮迫千鶴さんが亡くなった日だった。
当時書いた追悼のエッセイを転載しておきたい。
[2007年に宮迫さんからいただいた写真。60歳少し前]
●大満月の夜に──宮迫千鶴さんとのこと
私にとって、宮迫千鶴さんとの “遭遇” は二つの時期に劃されている。
一度目は80年代、言うまでもなくあの上野千鶴子との対談『多型倒錯 つるつる対談』(85年)の読者として始まった。後に「男にも分かる言葉で語るフェミニスト」といわれる理詰めの上野千鶴子に対し、宮迫千鶴の発言には内省へと向かう感受性が感じられた。あの本でフェミニズムに開眼(開国?)させられた男たちは多いはずだ。
以降、『ダークサイドの憂鬱』、『ママハハ物語』、『ハイブリッドな子供たち』などを続けて読んだが、ちょうどその時期、私は画家・菊畑茂久馬(きくはた・もくま)氏の九州派時代の回想記『反芸術綺談』の編集を担当し、菊畑さんとは旧知の間柄ということで、その本のしおりに宮迫さんからも原稿をいただいた。
到着した原稿に、私はしばし見とれたことを覚えている。400字詰原稿用紙の枡目の一つ一つに、枠一杯の万年筆書きの字。すべてが見事に整列していた。小学生の「かきかた」的というのでは勿論なく、男性的というのも当たらないその丁寧かつおおらかな字は、物書きとしてだけでなく生き方の中に大きな筋を通そうとする志操を感じさせた。
同書が出て間もない頃のこと、何かの機会に来福されたご本人にお会いした時、私はその字から直感したものを確認した。骨太だけれど優美さをも手放すことのない知性、鋭さの中に妖艶を湛えた眼光は忘れることができない。
*
その後、気にしつつも新著を手に取ることもない期間を経て、昨年、本誌連載原稿を一冊にまとめる機会を得た。『魔女の森へ』を編集中、あの宮迫千鶴はこんな “場所” に行ったのか、と20年ぶりの遭遇を思い続けた。高校生時代に憧れていた部活の先輩に再会したような親しさもあった。
あちこちを経巡(へめぐ)り、様々な人々と出会い、心身についての思考と試みを重ねてきた人は目映い。ヒーリングやチャネリングなどというものに私は心惹かれたことはないが、宮迫千鶴が尋ね続けてきた世界は、男たる私にも受け取れた。その意味で、私にとって宮迫千鶴は、 “異性の現在” を知らせ伝えてくれる、それもほんの1年前からそういう存在として再登場したばかりの大事な人だった。
宮迫さんが逝ったのは満月の夜。その後の幾晩かで私は『海と森の言葉』(岩波書店、96年)を読んだ。昨年お会いした時、自分にとってとても大事な本だと伺っていた。『つるつる対談』と『魔女の森へ』のまさに中間期に書かれたこの書は、おそらく宮迫千鶴が遺した最高の文章だろう。
宮迫さんと一緒にやってみたかったことがある。それは、彼女が「古代的な大満月の夜」と呼ぶ情景の中、どこかの岬の突端でてんでに遠吠えることだ。悲しみや怒りや祈りを胸に秘め、ただ遠吠える。皓々たる月明かりの中、大海原に向かって。
(『心のガーデニング』2008年7・8月号)