■モスクワからの電話取材 |
半信半疑だったが、12日朝、改めてちゃんと電話があった。安本と名乗ったその人は、モスクワ放送の日本人向けラジオ番組のアナウンサーとのこと(どうせ放送されてもこちらは聴けないだろうと思い、あまり深くは質さなかったが、後で調べると、どうやら「The Voice of Russia〔VOR〕」の安本浩祥アナウンサーだったようだ)。
15日発売の『樺太・瑞穂村の悲劇』(コンスタンチン・ガポネンコ著、井上紘一/徐満洙訳)について、サハリン(旧樺太)在住の作家の本が日本で翻訳刊行される、とロシアでも報道されたようだ。取材前に原著(1993年刊)を読んだ安本氏は、「こういう内容の本を日本で出すのは勇気が必要だったでしょう?」というところから話を始めた。以降、出版の経緯と小社の考え方をお話しし、安本氏からも「坦々とした日常世界の中で、突然“事件”が始まる感じですね」といった感想を伺ったりで、モスクワからの30分間の電話取材となった。

以下は、PR用に用意した文章の一部。
本書は、1945年8月20~23日、ソビエト軍侵攻直前の南樺太・瑞穂村(真岡郡清水村瑞穂)で起きた朝鮮人虐殺事件について、サハリン在住のロシア人作家が当時の記録に即しその全容を記述したものです。日本人村人たちに武器を手に取らせ、つい昨日まで同じ村に住む隣人であった女性・幼児を含む27名の殺戮に向かわせたものは何だったのでしょうか。
「ソ連軍の侵攻を朝鮮人が手引きしている」との噂が発端となり、村民19人が虐殺に荷担(軍事裁判により7人が処刑)。著者は、ソ連軍による尋問調書や裁判記録を基に事件の経過及び彼ら一人一人の行動を追跡、未だ戦時下と言える日常の中に潜む狂気や凶暴性を描き出しています。殺害者らの悲劇をも見据えようとする作家の筆致はどこまでも冷静で、そう言って構わなければ、私たちは終戦直後の樺太の一農村を舞台にした繊細かつ骨太なロシア文学を読んでいる心持ちとなります。
著者のコンスタンチン・ガポネンコ氏は1951年にサハリンへ移住、87年に本事件の関係資料に接し、93年にロシアにて本書を刊行、以降もサハリンを舞台にしたノンフィクションを手掛けられている作家です。日本文学にも造詣が深く、野間宏の『真空地帯』が当時の日本人を理解する上で重要な文献として引用され、各章冒頭の題辞には芭蕉や能楽作品からも引かれています。
翻訳については、下関市在住の在日二世・徐満洙氏が粗稿を仕上げ、北方ユーラシア民族学専攻の井上紘一北海道大学名誉教授が監訳を担当されています。
なお、ロシアでは現在、改訂版が刊行準備中のようで(本書巻末にその補遺となる予定の章を収録)、そのことも関わってか、彼の国でも日本での翻訳書刊行についての報道がなされたらしく、今朝、遙かモスクワのラジオ放送局から電話取材を受けました。
ウィキペディア(「樺太朝鮮人虐殺事件」)でご覧いただけるように、本事件についてはこれまで「情報源が確認できていない」などとされてきております。終戦から67回目の8月がもう間近。原著上梓から19年を経て翻訳刊行される本書が、戦争や人間性を考える上での大切な一素材となればこれに過ぐる喜びはありません。
*
本書刊行のきっかけは、今年2月、東亜大学教授で文化人類学者の崔吉城(チェキルソン)氏との出会いから。
シベリアのシャーマニズム調査研究中にサハリンに立ち寄った崔氏は、そこで終戦直前、朝鮮人が数万人規模で強制動員されたこと、そしてまだ4万人が在住していること、さらに瑞穂での朝鮮人虐殺事件などを知る。
その後幾度もサハリンを訪れて調査をし、林えいだい氏(ノンフィクション作家、『証言・樺太朝鮮人虐殺事件』刊行)などより裁判記録他のコピー提供を受け、自身の著書『樺太朝鮮人の悲劇』(第一書房)と『サハリン──流刑と棄民』(韓国・民俗苑)を出版。
その間、瑞穂村の悲劇を詳細に追った本書を日本人に提供したいと考え続け、両訳者との遣り取りを数年間繰り返しつつ、出版元となってくれる所をあちこち当たるも断られ……しているところに、ちょうど私が崔先生の研究室に訪れたという次第。
正直、70年近く前の事件とはいえショッキングな内容に若干の戸惑いはあったが、韓国の38度線近くに生まれ、韓国─日本にまたがる文化人類学の研究を続けてこられた方が、この日本で、日本人に読んでほしいという想いから翻訳出版を企図、それに下関市在住の在日二世と北方ユーラシア民族学研究専門のお二人が翻訳で協力、加えて、既に印刷(それに韓国内での頒布)に関しては崔先生旧知の韓国の中堅出版社・民俗苑が引き受けていると伺うに及んで、もう躊躇っている場合ではなくなった。そして何より、翻訳を通して判断する限りにおいても、著者ガポネンコ氏の執筆姿勢と文章には学ぶべきところが多い。
こうして、やや大仰に言えば、この本は、サハリン─韓国─札幌─福岡を結ぶネットワークの中で生まれた。九州・福岡にいる私にとって、サハリンは遠い。地理的のみならずそもそも歴史的に見ても、北海道のすぐ向こうの島だ、と言うわけには決していかない。出版社としての姿勢が問われる本だ、と自らに問い掛けながら編集に当たってきた。出版部数は多くはないが、きちんとした取り上げられ方がなされることを願う。
ソ連軍の対日参戦についてはよく問題とされるが、この本で知るのは、瑞穂の事件について、南樺太侵攻後のどさくさの中、ソ連軍がそれなりの調査や訊問を行った上で、民間人を裁き、そして関係資料を保存していたことだ。そうしたことを当たり前だと言えないのは、国際法的感覚は措くとしても、情報や資料の取り扱い──とりわけその公開度──について、今現在もこの国(ロシアのことではない)で見聞きしている通りの情況があるからだ。
*
最後に、崔氏の「序」から抜粋。
1945年8月、第二次世界大戦の終わりごろ、当時樺太の一つの農村である瑞穂村で朝鮮人虐殺事件が起きた。ソ連は終戦期に満州や樺太などへ侵入し、その終戦状態の時に、樺太の一農村でうわさによって虐殺が起こったのである。つまり脅威の前では人間らしさを守ることは難しいということである。われわれの社会では、身の安全が侵害されないよう対面や礼儀、法律などが必要によって組み立てられている。戦争中には心の平和、人権などを守ることは難しい。本当の平和の心を作るべく、よりダイナミックな教育や文化装置が必要である。この書を通してそうしたメッセージが伝わることを期待する。
[7/24最終]