■ある蟬の肖像 |
朝から炎天下を走る通勤ライダーは、信号待ちで停まる前、即座にビルや街路樹の影を探す。停止中は電柱1本の影が嬉しい。
体が慣れればの話だが、この陰影の濃い季節を私は嫌いではない。陰(影)はすなわち光(光景)であり、強烈な陽光に照らされた空や海や樹木の深い色合いは、何も混じりけのない生命力を思い出させる。
色濃い陰影の中、私はただの(汗をかく)身体と化す。
少し前の「ささのや会」(幕末期福岡の歌人・大隈言道〔おおくま・ことみち〕の研究会)で出会った、夏や影を歌った言道の歌3首を引く。
夏ばかりもの清げなる時もなし 何を見るにもけがらひのなく
いづこより分けてわらは(童)や通ふらむ 人の丈なる庭の夏草
秋くればともす蛍の影消えて 音(ね)をたてそむる草むらの虫
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午後、一服しようとベランダ(ここが事務所内喫煙スペース)に出ると、鳩よけネットに何か黒いものがしがみついている。
小柄なクマゼミだ。
元気がなさそうで、そばで私が煙草をふかそうと写真を撮ろうと、身じろぎもしない。
これが「八日目の蟬」か。
突くとそのまま落下してしまいそうだ。それでもまだ、どこかその身体には、カラスとの空中戦やアリどもとの最後の地上戦を控えた、静かな昂ぶりが感じられる。
鳩よけネットで憩いつつ、彼/彼女は今、“セミ・ファイナル”を戦っている。
[8/7最終]