■50歳・50年、そしてさらに… |
お一人は市役所勤めをしながら詩を書いてきた方で、出来上がったのは、抒情の中にハイデガーなど実存哲学の影響が色濃く感じられる詩集だった。その方は刊行3年後に胃がんを手術、以来、「命を言葉にしたい」と月1回の朗読会を始め、今年なんと100回を迎えると聞いた。朗読とは、言葉に命を吹き込む作業だ。「いつの日か、誰も到達したことのない詩の世界を開いてみたい」と言われていたが、その後どこまで行かれたことだろうか。
もうお一人は、親子読書会活動や本の読み聞かせ、地域図書館づくりに携わっていた女性で、新聞・雑誌などへの投稿をまとめたエッセイ集だった。子供たちの想像力を大事にしたいという趣旨の文章がいくつかあり、とりわけ、目に見えないものを信じない子供が増えたという論旨中で引かれていた「サンタクロースの話をするのは、子どもをだますことだというふうに考える大人が、子どもの信じる能力を奪っている」という児童文学者・松岡享子氏の言葉に考えさせられたことを覚えている。
21世紀を迎える少し前、2年の間を置き、それぞれちょうど50歳の年に自著を出された。本が完成した当時、お二人よりいくらか若かった私は、一つの夢実現のお手伝いができたことを喜ぶと同時に、晴れ晴れとした顔をなんだか羨ましく思ったものだ。
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「50年」ということで話をつなげたいのは、この9月、福岡地方史研究会(会長:石瀧豊美氏)の編纂になる『福岡地方史研究』(年報)第50号(定価1575円)を刊行したことだ。
福岡地方史研究会は1962年、「民学(民間研究者と大学研究者)協同での歴史研究」を旗印に「福岡地方史談話会」として発足、80年に現在の会名に変更、会報は1964年に『福岡地方史談話会会報』を発刊、91年より『福岡地方史研究』と誌名変更し、現在に至っている。
会創立50年・会報創刊50号──これは県内はもとより全国的にも有数の歴史と言ってよいだろう。
記念すべき号は「長崎街道400年──峠・街道・宿場町 3」という特集を組んだ。これは第48号・特集「峠・街道・宿場町」、第49号・特集「山家宿400年記念──峠・街道・宿場町 2」を引き続いだもの。
特集の中でも、長崎街道筋の境石紹介、長崎街道を歩いた象の話、前原関番所の復元、それに夢野久作(杉山泰道)を含む杉山家三代と山家宿(やまえしゅく、現筑紫野市)の関係といった文章は、多くの方に興味深く読んでいただけるのではないだろうか。
また、50号記念インタビューということで、創立以来の会員である秀村選三九州大学名誉教授(経済史、89歳)より「私と福岡地方史研究会」というテーマでお話を伺い原稿化した。学徒出陣、特攻志願、福岡空襲後の故郷(福岡市中央区大名)、長崎原爆などについてはとても貴重な証言だと思う。
その他、野村望東尼と高杉晋作の人生の交錯を辿った論文、それに研究ノートでは、貝原益軒の『筑前国続風土記』他、県下5市3郡の自治体史などを編纂し、戦前期福岡の地域史研究において指導的役割を果たした伊東尾四郎(1869~1949年)、それに1876年に起こった「秋月の乱」の鎮撫に向かい説諭を試みるも惨殺され、福岡県警察史上最初の殉職者となった旧福岡藩士・穂波半太郎を取り上げた2本、また、「目撃記録をともなう世界最古」の隕石とされてきた「直方隕石」の落下年代を検討したものなど、多彩な原稿を収録することができた。
前の会社の時代から、私は第40号より同誌の制作を担当してきた。私も会員だが、このところやや会員数が減ってきている。「福岡で,広く地方史の研究を」との主旨で、地味ながらも息長く活動を続けてきた福岡地方史研究会。“歴女”に限らず、ご参加を呼び掛けたい。
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さて、先輩方より「人生の折り返し点」、「人生の棚卸しの時期」と聞いていた50歳を忙しさのままに遣り過ごし、気がつけば私も、さらに10年を加えるほどになってしまった。この間、私がようやく為し得たのは、新しい出版社を興すこと。ちょうど創業満2年となり、なんとか21冊を刊行することができた。時々、折り返し点を無視してそのまま走り続けているような気もするが、私は私自身の“夢見る力”の行き着く果てを見届けたい。
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以上は、福岡発信のブックガイド『心のガーデニング』123号(近刊)に標題で寄稿したもの。ちょっと、数字のこじつけに無理があるか。
仕事・私事双方に追われ、1カ月以上、何も書けなかった。
涼しくなってくると、山を想う。今秋は……行けるだろうか。