■何故、「祈る」のか──『修験道文化考』と『薩摩塔の時空』 |
私の遅筆がいつも足を引っ張っているブックガイド誌『心のガーデニング』NO.125(年内発行)に寄稿したもの。下記はその転載。
何故、「祈る」のか──
たまたまの成り行きだが、師走に入って、「祈り」が主要テーマの一つと言える二書を刊行した。
一冊は、恒遠俊輔(つねとお・としすけ)著『修験道(しゅげんどう)文化考──今こそ学びたい共存への知恵』(四六判、1575円)。「ウィキペディア」の簡潔な定義を借用すれば、修験道とは「山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の混淆宗教である。修験道の実践者を修験者または山伏という」と。
本書は、九州における代表的な修験道霊山である求菩提山(くぼてさん)、それに犬ケ岳(いぬがたけ)・英彦山(ひこさん)を主たるフィールドに、芸能、エコロジー、農耕儀礼、相撲、茶、阿弥陀信仰など日本の伝統文化に修験道が与えてきた影響を探り、その遺産の今日的な意義を考えようとするものだ。
著者の主眼は、修験道の根本には、修行を通して向かい合う自然や異なる文化・習慣を持つ存在との「共存」を図っていこうとする考え方があるのではないか、というところにある。そして、そうした考え方は、現在直面する、経済効率一辺倒がもたらした弊害を克服しようとする際に、大きな示唆となるのではないか、と。
恒遠氏は高校教諭を経て福岡県立求菩提資料館に勤務、今年春に館長を退任。本書はその19年間の成果と言える。
また氏は、かつて「環境権」という言葉がまだ周知されていない1973年、記録作家の松下竜一氏らと豊前火力発電所建設反対運動を行い、差し止め訴訟を起こした原告7人のうちの一人である(1985年、敗訴確定)。本書では自身初めてその時代のことにも触れ、修験道の遺した文化に関わることで、海、そしてその源流にある森や山という、自分たちが裁判で守ろうとしたものが、山伏たちが信仰しているものと根底ではつながっているのではないかと考えるようになった、と語る。
話題は旧豊前地域に留まらず全国の修験の山々に広がり、そして最終章では「死」をめぐって修験道と阿弥陀信仰の関わりに及ぶなど、人の世の儚さを見据えた優しくかつ芯の勁(つよ)い語り口を通して、私たちは修験道の祈りの世界、そして“命”をめぐる思考へと誘われることになる。

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もう一冊は、井形(いがた)進著『薩摩塔(さつまとう)の時空──異形の石塔をさぐる』(A5判、1680円)。これは、これまで九州西側地域(福岡・佐賀・長崎・鹿児島)のみより40基程度しか発見されてなく、類例のない不思議な姿をした石塔の──時間と空間にわたる──謎を追究したものだ。
福岡市周辺所在で比較的に原形を留めているのが首羅山(しゅらさん)遺跡(久山町・白山)にある2基。1814年に福岡藩の国学者・青柳種信(あおやぎ・たねのぶ)が編纂に着手したという『筑前国続風土記拾遺』中の白山権現社の項にも「境内に石仏 四天王像 二体あり」と記され、古くから知られていることが分かるが、1958年、鹿児島坊津においてこの塔が初めて文化財として扱われるようになったのが、その名の由来とのこと。
この塔のどこが異形なのか。その形態を非常に荒っぽく言えば、四天王像や欄干状のものが彫られた須弥壇(しゅみだん。仏像などを安置する壇)の上に、何を現しているのかよく分からない像(尊像)が彫り込まれた壺型のものが据わり、上部には屋根、そして頂には饅頭型のものが乗る。
では、これはどこで造られ、誰が、何のために、そこに安置したのか──。仏教美術史を専門とする著者は、その塔の構成や尊像の様子、そして塔全体の醸し出す趣が、日本で通常目にするのことのできる石塔とは決定的に異質であること、それが13世紀半ばに中国で制作され、到来したものであることを明らかにする。
そして、単体で、一応宗教施設の体裁を整えているとも言えるこの塔が、仏教信仰のみならず道教ないしは神仙思想との大きな関わりを持ち、海を越えてやって来た中国商人たちの祈りを示すものではないか、との結論に達する。
最大2メートル足らずの石塔についての、大きな謎解き。仏教美術にそれほど関心を持ってなくとも、ぐいぐいと石塔の世界に引き入れられてしまう。その果てに、私たちの前に展かれるのは、博多を中心とする中世九州における大陸との交渉の実像であり、さらに大きく広げて東アジアにおける信仰と造形の歴史である。

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11月下旬、私はうかうかと60歳を迎えてしまった。まずもっての感想は、「これで親父より早く逝かずにすみそうだ」というもの(父は61歳になる4カ月前に死去)。
それから1週間後、長男に男児が誕生。今度は「初孫は可愛いでしょう?」と尋ねられる。3000グラムばかりの存在に対する「祖父」としての実感を問われても困るが、「これで、命の輪をつなげることはできた」という感慨はある。
「祈る」ということに疎い私だが、5世代にわたる連環をとりあえず見届けることができたのは嬉しい。