■嫉妬するわたしは四度苦しむ──ロラン・バルト |
これはロラン・バルト(フランスの哲学者・批評家)『恋愛のディスクール・断章』(三好郁朗訳、みすず書房)に収められた「肯定──手に負えぬもの」という章の、有名な一節。誰しもきっと思い当たる時期があったことだろう。
本書は、古今東西の「恋愛」に関わるディスクール(言述)を拾い集め、その断章群にタイトルを付しアルファベット順に排列したものである。バルト自身の体験と思われるものの他に、ゲーテやハイネ、ニーチェ、プルースト、ブレヒトらの言葉が掲げられる。
例えば芭蕉俳句、「名月や池をめぐりてよもすがら」を取り上げ、バルトは「悲しみを言うのに、この『よもすがら』ほどに効果的な間接表現はないだろう」と書く。
そして、自分もやってみよう、と俳句的な表現で “時間の中を漂う心持ち” を表そうとするのだが(その一つは「この朝に港は晴れて/うごきもやらず/去った人を思う」)、自身が言うように「いずれもみな、なにも言っていないか言いすぎているかのどちらか」となり、日本語ネイティブたる私たちも、俳句のすこぶる抽象的な短詩世界の味わいを再確認させられることになる。
ところで、私はこの本を多分、一度しか通読したことがない(頭から通して読まなければならない本でもないが)。だが、本棚の一番目につきやすい所に立てていて、これまで何度となく繙いてきた。
それは、年に数度、得体の知れないメランコリーに陥ることがあり、その時、以下の断章に触れて佇むためだ。
嫉妬するわたしは四度苦しむ。嫉妬に苦しみ、嫉妬している自分を責めて苦しみ、自分の嫉妬があの人を傷つけるのをおそれて苦しみ、嫉妬などという卑俗な気持に負けたことで苦しむのだ。つまりは、自分が排除されたこと、自分が攻撃的になっていること、自分が狂っていること、自分が並みの人間であることを苦しむのである。(「嫉妬」)
ここには、人世の少なくとも四半分の真実が語られているだろう。
それにしても、「嫉妬」に関してこのように記述することのできる感性と知性にこそ、やはり嫉妬してしまう。あの、誰もが必ず憶えのある根本的なネガティヴ感情──嫉妬について、これ以上深くて美しい考察はない。
[同書カバー装画]

以上は、少し前、私が寄稿している雑誌のブックレビュー特集号に提出した原稿の再掲。
幾つになっても、ふと、誰かのことを羨んだり妬んだり、そのことを沈めたまま乱反射のごとき攻撃的な気分すら持っている自分に気付くことがある。自らの卑小さに向かい合う時間。
まさに先週もそうだった。──そうした時、上記「嫉妬」の数行を思い返す。話は嫉妬のことだが、言葉の射程はもっと深くて遠い。
[この項、永遠に書き掛けのような]
→花乱社HP