■愚か者、木を伐る |
受験間近の一夜、付き合いの浅い同級生と初めて話し込んだ時、キリスト教やキルケゴールに入れ込んでいた彼が「動物や植物を殺して食べる、人間という存在は愚かで罪深い」と言った。心根の優しい彼に対し、愚かな上に意地悪でもあった(とりあえず過去形)私は、「だったら、煙草(元は植物)を喫うのもやめたら」と言い返した(当時私は煙草を喫っていなかった)。
──手前勝手なセンチメンタリズムや教義・道徳(「美しい国」だとか「女は産みなさい」だとか)を押し付ける輩はいつだって始末に悪い。
それはともかく、狭小な我が家の庭でも今年幾つかのトピックがあったが、明日、家族内でシンボル・ツリーと称していたブルーアイス(アリゾナイトスギ)を伐ることにした。齢13年、大木というほどのことはないが、幹周り70センチ、高さは2階の屋根を超えた。
リビングから見えるのは骨組みのごとき幹と枯れ枝ばかりだが、上と横にはどんどん伸びて太り、隣家にも枯れ葉を撒き散らしている。庭の陽当たりの問題もあるし、台風による倒木も怖い。何度か梯子に昇り或いはベランダから高枝切り鋏を使い伐ってきたが、そろそろ私の手に負えなくなってきた。犬猫を飼う趣味はないが、いつまで面倒を見られるか、などという話と同様の心持ちになった。
[ピントも構図も甘いのは、もう必要がないかも知れないのに(今日一日があるのだからそんなことはない)今朝も水やりをしていて、つい涙目になったせいか…]


ということで、造園業を営む知人に伐採を依頼。「樹木医」資格を持つ人への依頼としてもだが、13年を生きた木に対しやはり気が引けて、落ち着かない数週間を過ごした。10年先を見通さなかった私は、やはり愚かだ。
愚か者でも、生きるためにはやむを得ず、何かを殺めたり誰かを(受験競争で)蹴落としたりもする。問題は、そうしたことに幾らかでも値する命の全うのさせ方を、自分自身ができるかどうかだろう──と、四十数年前、そう答えるべきだったか。
**
ついでながら翌日譚。
朝8時からやって来たGEO-GREEN(ジオ・グリーン)の田口哲夫氏。下部の枝からテキパキ落としてゆき、上部になるに従い伐り残した枝の根元に脚を掛け、上り詰めて頂部まで丸裸に。
そこから今度は、チェーンソーを使い、積み木を上段から外していく要領で、何度かに分け幹を伐って投げ落とし、最後に1メートルばかり残す。ここまで3時間足らず。
それからが厄介で、根の周囲を大きく掘り込む。太い枝根が何方向かに張っている。途中、熱中症気味となり休憩を挟み、結局、4時間近く掛かって50センチ掘り下げ、最後は、力の入れやすい長さに残していた幹を、文字通り押し倒す。
──炎天下、大変な仕事だ。校正紙を眺めつつ、見るともなく見ていたこちらも、ぐったりとなった。
