■『福岡地方史研究 第51号 特集:黒田家と福岡・博多』刊行 |
福岡地方史研究会は1962年発足、51年の歴史を持つ全国有数の民間歴史研究団体だ。現会員数約120名。
今号は194ページと過去最高のボリュームとなった。

表紙画像でもおおよそ出ているが、主な目次と執筆者を掲げる。
【特集】
トピックで読む黒田官兵衛[石瀧豊美]
播州山崎の城主宇野祐清とその遺児山崎茂右衛門[近藤典二]
黒田如水・長政と寺院──真宗徳栄寺開基光心の由緒を中心に[鷺山智英]
福岡荒戸山東照宮についての一考察──福岡藩における東照大権現(徳川家康)信仰[守友 隆]
(史料紹介)黒田長政をもてなしたご馳走──「臼井家文書」慶長十五年戌極月十五日献立目録[竹川克幸]
【論文】
黒田長溥の「功罪」と明治維新[力武豊隆]
【講演・インタビュー】
地方史遍歴──民俗と郷土研究と[佐々木哲哉]
激動の時代を生きて──シベリア抑留・共産党そして貸本業[山部英達]
【研究ノート・歴史随想など】
弥生時代の石材産出地と石器製作遺跡の関係──笠置山と立岩間の距離から見えてくるもの[福島日出海]
面影の茶壺──『福岡藩 吉田家伝録』に省かれた部分[寺崎幹洋]
茶書『南方録』で知られる立花実山の屋敷跡[松岡博和]
月形洗蔵宛て望東尼書状に関する一考察──その真偽をめぐって[谷川佳枝子]
山家宿異聞・西部軍司令部壕(筑紫野市宮地岳)[師岡司加幸]
菊竹六鼓の就職斡旋依頼──明治三十六年十一月八日 野田卯太郎宛書簡[草野真樹]
地域の歴史を再発見する小さな展覧会[有田和樹]
その他、古文書入門講座、金印シンポジウム報告、雑誌探索の連載記事など。
半世紀を超えての第一弾として、とても充実した内容となった。
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会長・石瀧豊美氏の「トピックで読む黒田官兵衛」から一部抽出する。
【関ケ原の合戦で黒田長政は小早川秀秋の裏切りを誘い、東軍徳川方は西軍豊臣方を圧倒した。長政の功は明白で、中津藩から筑前へと移されることになる。
一方、隠居したはずの官兵衛は中津城を出て、豊後・豊前の城を軒並み落城させていた。ここに、官兵衛の意図は九州平定にあり、ついには天下人たらんとする深謀遠慮を秘めていたとされる。(略)
『名将言行録』に「秀吉の孝高観」という項目がある。「秀吉は(自分の死後)『あの足わろき者』が天下を得るだろう」と述べたことを紹介している。足の不自由な者とは孝高、すなわち官兵衛を言う。
また、「秀吉は『いまの世に怖ろしいものは徳川と黒田だ。しかし徳川は温和な人である。黒田の瘡天窓(かさあたま)は、どうも心を許しがたい人間だ』といわれた」。「かさあたま」はかさぶたのできた頭、これも獄中で病を得た官兵衛のことだ。
「天下を取ること」という項目では、「家康を攻め滅ぼし天下を取ろうと思えば、それはいともたやすいことだ」という官兵衛の談話が紹介されている。穏やかではないが、これは冗談めかした話しぶりで、逆説的にその意図はないという結論になる。その真偽はともかく、官兵衛の知略が秀吉にも、家康にも警戒された──少なくとも、世間は秀吉、家康に匹敵する人物として、官兵衛をみていた。】
福岡藩初代藩主の父・黒田官兵衛(孝高)は、地元福岡では「黒田如水(じょすい)」として知られる。大河ドラマ『軍師官兵衛』ではどのように描かれることだろうか。
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