■小山田咲子さんのこと──命の輝きの由縁 [2013.10.12記] |
その内の一人・坂井和泉については以前書いた(「ちょっとZARD のことを」)。
今日たまたま、事務所を訪ねてきてくれた青年と語るうち、もう一人の女性の名前が出てきて驚いた。
小山田咲子さん(1981年生)は、2005年9月、アルゼンチン旅行中に、同乗していた車が横転し死去。
前の会社に在籍中の2007年、私はご両親の依頼により、彼女の遺したブログを編んで『えいやっ! と飛び出すあの一瞬を愛してる』を出版した。
普通、本は刊行後時間が経つにつれ売れ行きが落ちる。だが咲子さんの本は、ネット情報を追うだけでも静かに広がり深まっていっていることが見て取れ、大きな部数ではないにしろむしろ尻上がりに伸びていった。私が退職する直前、2010年8月には2刷も出した。ちなみにこの時、口絵写真を変更した(双方を下に掲示)。2刷分は刊行後にその存在を知ったもので、初刷分写真より1歳位若い時と聞いた。
今日の彼は、彼女と同年齢(咲子さんも、もう32歳になるんだ…)、時期が少し異なり擦れ違ったようだが、同じ早稲田大学文学部に在籍したとのこと。同郷(福岡市)ということもあり他人事と思えないらしく、咲子さんのことを語る眼をうっすらとしたものが覆っていた。
[2刷口絵より/この写真を私は仕事机のそばに置いている]
[初刷口絵より]
同書について、出版当時に私が書いた文章を再掲する。
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●愛はキックボードに乗って──『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』
題名は忘れたが、だいぶ以前、J・ニコルソン主演の、倦怠期にある中年夫婦の日常を描いた映画を観たことがある。互いに顔を背けながら冷ややかに罵り合う場面で、夫が、自分の靴下が何故かいつも片方無くなることをぼやく。これはまさに当時の私の実感でもあったので頭に残ってしまったのだが、同じ意味の言葉を、この本で初めて活字で見た。「なんで靴下って、片方ずつなくなるんだろう」(「行方不明」)
本書は、福岡市生まれで飯塚市育ちの著者が、早稲田大学に入学して上京、2002年10月から3年程の間(22〜24歳)に書き綴った500本近いブログから選んだものだ。話題は、身辺のこと、友人・知人との会話、バイト・就活、音楽・演劇・写真・読書・旅についてなど、実に多彩。
少し読むだけで、彼女の関心の幅広さと感性の瑞々しさ、そしてそれらを現代の若者の感覚で描き切ることのできる表現力に驚くはずだ。私の好きな文章の一つを抜粋したい。
たまたま彼女が商店街を歩いていて、前を行く父娘の会話を聞いたという話。キックボードに乗った小一くらいの娘が父親の周囲を回りながら、今通っているらしいスイミングスクールの話をする。
【「ゆきちゃんとかまりちゃんより上手になったよ。でも○○はね(自分のこと)クロールよりも背泳ぎが好き」。さらりと応えたお父さんのひとことがとても良かった。「ゆっくり泳ぐのが好きなんだね」。女の子はうんとうなずき、ついーとボードを蹴って前に行ってしまった。女の子のお父さんは、この何気ないひとことで、娘を誉めたわけでも彼女に同意したわけでもないけど、「ゆっくり泳ぐのが好き」な彼女を今知って、そして「ゆっくり泳ぐのが好き」な彼女のことをとても好きであると、きちんと娘に伝えていたと思う。ただ肯定する、愛情深さ。】(「愛ある言葉」)
こうした場面に「愛」を思う感性に、彼女の親世代たる私は、靴下の片方だけでなく自分がいつ知らず失ってきたものを振り返る。24歳、同乗者事故により客死した小山田咲子さん。その文章から私は、静かな勇気をもらう。
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アルゼンチンに出発前の最後のブログに、咲子さんは「今回ほとんど行動予定は決まってないけど、久しぶりに会う大好きな人と過ごす時間がとれるかも、愛が甦るかを楽しみにしている」と記した。その、ほかならない「大好きな人」が運転していた車の──平原の中の一本道における──横転により、彼女だけが帰らぬ人となった。
この才能に溢れたくさんの可能性を持っていた美しい人が24歳と2カ月で逝ったのに、そうした命の輝きの、そして人の世の喜び・悲しみの由縁を、もう少しだけ余計に見届けてきたはずの者が、おめおめ、ぐずぐずとした生き方をすることはできない──というのが、私が自分自身へ突きつける「励み」だ。
ただしそれでも、「ゆっくり泳ぐ」ことを忘れたくない。
[10/16最終]
→花乱社HP