■「ひとり出版社・岩田書院」の岩田博氏、太宰府に現わる |
国の施設で物販する“業者”なので、開場前の早い時間より準備して待機。販売場所として、玄関ホールに設けられた受付から少し離れた研修室を宛てがわれる。ちょっと嫌な予感。本を求める学会関係者及び一般参加・観覧者がここまで足を運ぶだろうか……。
研修室には、販売刊行物を扱う出版社や地元組織向けに用意されたテーブルが八つ。その内、テーブル二つには、しばらくしても誰も来ない。
昼前になり、身軽なTシャツ・ジーンズ姿、お坊さんのごとき風貌の中年男性が現れ、空いていたテーブルの一つにテキパキと本を広げ始めた。並べている間も、研究者然とした客が本を眺め、早速何冊か買っていった。
一段落したのを見計らってそのテーブルに近寄った私は、少しお話ししてようやく、その男性が、業界では知られた「ひとり出版社・岩田書院」の岩田博氏だと認識できた。
岩田博氏は1949年、東京都生まれ。中央大学文学部史学科(国史専攻)を卒業。名著出版で20年勤務後、1993年に岩田書院(東京都)を創業。出版ジャンルは主に歴史・民俗関係。20年間、ずっと一人で出版活動を行ってこられたわけだ。

実は私も、花乱社立ち上げの際に参考にしようと、同社の「新刊ニュースの裏だより」をまとめた『ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏』(無明舎)を購入。その後すぐさま怒濤の現実に呑み込まれ、未だ読みさしのままだ。
きっと大変だろうな、などと考え、岩田氏にこれまでの出版点数を伺ってみて、驚いた。ここ数年は年間50冊近くを刊行、20年間のトータルは800冊を超えている、と。──それだけの数を一人で?
お話を聞いて分かったのは、まずDTP(デスクトップ・パブリッシング)は自分でやらず外注スタッフに任せる。それに基本的には本文校正も、勿論装丁も社外に依頼、と。要するに、本に関わる制作関係すべてが外注だということ。
例えば共同執筆書については、編纂責任者に校正紙の発送・取りまとめとかの一切を委ねるなど、なるべく省力化を図っている、と。
──うーん、そうだろうね。でないと、それだけの点数を出せるわけがない(ちなみに小社は丸3年間──その内二年半は二人体制──で35冊程を制作・刊行)。
それにしても、なんという出版合理性。「ひとり出版社」だからその規模は……と早合点してはいけない。実際は、相当な人間を巻き込みかつそれぞれに“仕事”を頒ち、相当な資金と物量を動かしている、一大出版事業と言っていい。結果、少し前の情報で年商1億円以上(こうした情報を岩田氏はすべてオープンにしている)。
勝手な想像で言ってしまえば、制作に関わる部分はその道のプロに任せておけばいい、問題は何を出版するのか、その中身、そして流通(これがなければ本の使命が全うされない)だ、という割り切り──これは凄い。
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正直、このところ同業他社のことなど気にかけている余裕はないので、最初、あの「岩田書院」だということと、「一人でやっている」というお話が記憶の中でうまく像を結ばず、なんと私は軽口のつもりで「食べれていますか?」と尋ねてしまった。
その後、出版実績を伺って口があんぐりとなった私に、岩田氏は、
「少し疲れましたね」
と(本当にそうだろうと思う)。けれど、眼鏡の奥の瞳はギラリとしていた。
この季節は学会が多く、修験学会は二日間にわたり開かれたのだが、岩田氏はとんぼ返りで、翌日は金沢出張とのことだった。小社の『薩摩塔の時空』は既に購入済みで、帰り際には『筑前竹槍一揆研究ノート』も買っていかれた。合理性の背景には、当然ながら出版企画についての目配り・目論見と素養がなければならない。そして何より、出版に向ける情熱。
自分の勉強不足と不明を恥じ、先達にドヤされた気持ちになった日──。
【追記】二日間での小社売上は20冊・4万円程。これはなかなかの成績で、帰路の夕焼けがより美しく見えた
[10/29最終]
→花乱社HP