■釜山一泊行──幻の豚足スライス |
いつもの夕暮れではなく、フェリー(博多港)出発前の朝焼けも見過ごすことができなかった。

一泊行なので忙しい。釜山港到着後、すぐに韓国鉄道釜山駅前のホテルに荷物を預け、小1時間地下鉄に乗って釜山市内のリゾート地・海雲台(ヘウンデ)へ。ここにもう行きつけと言っていいデジクッパ(豚肉の浮かぶスープにご飯を投げ込む)の店がある(以下、食い物の写真は控える)。そして、我が島国の方角に展けた海岸で、しばし眺める午後の照り返し。


2、3年前から釜山でも、若者がみな手にしているのはスマートフォンだが、ほとんどが日本で見かけるものより一回り大きい(サムソン製だろう)。年配層も結構使いこなしている。私はスマホを持たないが、どうしてあのサイズが日本で流行らないのだろう。
それにみな、地下鉄車内だろうが遠慮なく電話を受け、しゃべっている。また、突然おじさんが生真面目な演説口調で物売り(今日見た商品は膝サポーターで、彼は得意気にズボンの裾をまくり上げて装着中の臑を見せていた)を始めたりもするが、こうした喧噪振りこそが人間社会の普通のありようだと、この街に行っていつも感じる。何故私たちの社会では、乗り物の中で静かにしていなければならないのか──(本当に煩いのは、イヤホーンを通して聞かされる音楽ではないか)。
一旦ホテルに戻り再度出掛けたのは、既に月明かりの時刻。旧暦の韓国では釜山駅前にイルミネーションのクリスマスツリーが飾られていた。広場一帯にどこからか流れてきているBGMは、優美だが俗っぽい中国歌謡。釜山駅頭で遭遇するクリスマスツリーにチャイナ・ソング──なんとも不思議な世界だ。


暗くなって愉しいのは、やはり旧市街の南浦洞(ナムポドン)。まずはここの活気に身を浸すために釜山を訪れていると言っていい。今夜の人出は特に凄く、これだけの賑やかさは近年見た記憶がない。この場面からだけ言えば、釜山の景気も相当回復してきたのではないか。
週末だったせいもあるかも知れないが、このところ釜山でトレッキング姿の人を数多く見かけるようになった。そうした関係の店も増えたようだ。もともと韓国トレッキングの歴史は古いようだが、カラフルな装いに身を包み軽快な足取りの老若男女を見るのは好ましい。


路上似顔絵描きも増えた。さて腕前のほどは……見れば分かる。韓国人のことだから(実物よりも)ともかく美しければいいのだろうか。

ホテル廊下の窓より、ビルの谷間に望む朝焼けの海。ガラス窓による粋な計らい。
昼飯は当然、南浦洞でサムゲタン。これを食しなければ釜山に来た甲斐がない。勿論、街のスーパーでレトルト・サムゲタンも買って帰る。最近は福岡でも安く買えるが、本場で購って持ち帰るという行為は、狩猟・採集本能の燠火のごときものをくすぐる。

下は、帰りのフェリーから眺める、やや波の立った玄界灘。
ビートル船内で隣り合わせた同世代らしき女性は、とても気さくな人だった。釜山には10回は訪れているとかで、今回は友人と二人、年末28日から南浦洞中心街にある韓式旅館に連泊し、新幹線乗り放題のクーポンを使いソウルにも行って来たらしい(友人は一日先に帰国)。あちこちの観光地やレストランにも詳しいし、近々、以前旅先で出会い親しくなった韓国人女性の結婚式にも招かれているとのこと。素晴らしい行動力だ。こうした人こそが──権力・金力を恣(ほしいまま)にしようとする為政の輩なんぞより──よほど「国際交流」を担っているのではないか。
彼女は昨夜、私も名前だけは知っている豚足料理専門店で食事をし、食べきれなかった分を店側の勧めでテイクアウトしてきたとのこと。同じ福岡市城南区に住んでいることも分かり、結局、船中に居る間中話し続けたのだが、生唾を呑み込んでいることを気取られたのか、その持ち帰った豚足スライス(チョッパル)を私にくれると言う。
ならば仰せの通りにということで、福岡港の税関を出た所で待ち合わせることにしたのだが、20分程してやっと通関を済ませてきたその人は、料理店が丁寧に包んでくれたものを税関職員に見咎められ、別に買ったイチゴ共々没収されてしまったとのこと。──この場合は、まあ、そういうこともあるよね、と(やや引きつり気味に笑って)諦めるしかなかった。

【後日談】
その後私は、お近づきの印までに、件の女性に小社刊『フクオカ・ロード・ピクチャーズ』をお贈りしておいた。すると、数日経って彼女から電話があり、釜山の知人の手作りだというキムチを事務所まで持ってこられた。このキムチがまさに本場の味で美味なのだが、これまで体験したことのないほど大量のニンニクが使われており、焼酎のお供にすると、翌朝、自分の喉がニンニク仕立ての煙突に変貌したことに気づく。
→花乱社HP
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