■おじさんの博多ラーメン、少女の久留米ラーメン |
[1月11日 下関市一の宮学園町・東亜大学の研究棟より]
旧知の教授から呼ばれて東亜大学へ。旧満州へ出兵した上等兵(昭和12年召集)が、敗戦後、辛うじて持ち帰った写真100点程を編集して出版しようという話。貴重な写真ばかりだ。性懲りもない者たちが米国にしっぽを振りつつ、またぞろこの島国を戦争ができる国家にしようと画策している今、80年近く前に一兵士が写した写真群は何を訴えかけるだろうか。
途中、席を立った際、窓外にオレンジ色の気配を見てしまったら、談話は一時お預けにしてカメラを取り出すしかない。単なる航空機おタク少年なら別だが、このような空に前にして(例えば空爆に向かう)戦闘機が飛び去る姿を思い描く輩とは、それこそ天地を同じくしたくない。
[1月12日 福岡市城南区西の堤池]
歩いている速度でものを考えるのが好きだ。
歩いている速度で人と巡り会うのが好きだ。
歩いている速度で夕暮れの深まりを見るのが好きだ。
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ところで昨日、久し振りに福岡市西区田隈にある「○ちゃんラーメン」(知っている人は知っているし、知らない人にあえて店を教えたくない)に寄った。ここのが私にとっての博多ラーメン・ベスト1。と言うより、そもそも「博多ラーメン」というものを分かっている人間なら、誰でも間違いなく同意見のはずだ(それほど強がる話でもないが)。
屋根付き壁無しの店外待合場所に十数人。30分程待って(いつもよりやや短い)、お世辞にも小奇麗とは言いがたい小さな店内へ。カウンター、それにテーブル二つ、それぞれ10人程しか坐れない(駐車場は十数台分。これがいつも満車)。けれど店員は5人も居て、皆忙しそうだ。
見回すと、ほとんどが黒っぽい服を着込んだおじさんばかり。退役軍人用の兵舎に踏み込んだ気分。一人客ばかりではなかったようだが、20人程のおじさんたちが黙々とラーメンを啜っている姿は、たかだか一杯のラーメンを求めて(ショッピングや散歩がてらに、という地ではない)ひとときたまたま居合わせただけなのに、ふと親愛の情を感じてしまうような、ちょっと不思議な光景だった。
この、豚の頭骨だけでスープを取っているという店に、私も30年近く通っている。先代のオヤジがいつも銜え煙草でさも不機嫌そうに客を見遣りつつ、一杯一杯、麵の湯を切っていた姿が目に焼き付いている。客は皆、食べさせてもらって有難うとばかりに、声を掛けたり頭を下げて出て行く。私も、行く度に、麵を最初に口にする度に、人生あと何回このラーメンを食べることができるだろうか──と思ってしまう。
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ついでに思い出した。私にとっての博多ラーメン・ベスト2は「赤のれん」(天神大丸の向かい。ここは教えて構わない)だが、昨年末30日、息せき切って駆けつけると、改装工事で休業中。既におなかはラーメン・モードだったので、仕方なく近所の「久留米大砲ラーメン」天神今泉店へ。
ここは逆に、いつも若者を中心にごった返している。ガイドブック片手に外国人もたくさん訪れているようで、カウンターに坐った私の隣にいたのは、英語を常用とするらしい東南アジア系のまだあどけない10代女性二人。しゃべくったり、ラーメンや互いの顔を撮り合ったりで、麵が伸びるのではないかとこちらが心配するほどのゆっくりペース。屈むと器に被さる髪も気になっている様子。その時、「よかったらどうぞ」と、サッと若い男性店員がカウンターに置いたのが、小さなビニール袋に入ったカラフルな髪留めゴム。
顔を見合わせはしたものの二人はそれほどびっくりしたふうでなく、むしろ横目に見ていた私の方が少々驚いた。多分、店員マニュアルに指示があるのだろうが──ラーメン屋の髪留めゴム・サービス。うーん、ファミレスのレジで子供に飴玉や風船、というのは見掛けたことはあるし、今時流行りの「おもてなし」謳歌なんぞに関心もないが……大砲ラーメン、なかなかやる。いやいや、単に私がこうしたサービス風潮に疎いだけか。
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