■「桜」への詫び状 |
春より秋、桜より紅葉が好きなのは確かだが、私も花見には行くし、登山中に出会うヤマザクラには見蕩れてしまう。同記事のやや誇張した部分はもう書き直さないが、罪滅ぼし(?)に、5年前にある雑誌に寄稿した桜(花見)の思い出話をここに転載する。
前の会社に在籍時のもの。いくらかだけど珍しく父のことに触れた、私にとっては大事な文章だ。
満開の桜の下で死者と生者が出逢う
胃癌手術で胃とその関連臓器の大半を失った父にも、1年の余命があった。その間、たまさかの小康期を見計らい、私は、父と母、祖母、自分と姉の家族を連れて、北九州市門司区にある「四季の丘」(現在は「白野江〔しらのえ〕植物公園」というらしい)へ花見に行った。
周防灘に面したそこでは、段々畑状の一帯に桜が満開だった。その一本の下に陣取った私たちは、谷間に群れ咲く花や市街地を眺め、空高くヒバリの声を聴きながら、久し振りにおだやかなひとときを過ごした。一頃よりも随分と小さくなっていた父の顔もほころんだ。
運転手たる私は少量のビールしか飲めなかったが、気だるさに横たわり、一時(いっとき)寝入ってしまったようだ。ふと周りを見回すと、子供たちを含めた全員が思い思いの姿で横になり、やはり微睡(まどろみ)みの中にある。
やや風が出てきたようで、一人一人の上に、そっと命を吹き込むように花びらが舞い降りていた。
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それから30年近く経った先日、同じく周防灘に面した福岡県・苅田町二崎(ふたざき)の地に、私は一本のヤマザクラの古木を観に行った。
静かな集落を抜けると山側に視界が開け、水面(みなも)に周囲の景色を映し込んだ沼が現れた。対岸には大きな榎、そしてその奥のいかにもステージといった小高い場所に、すっくとした姿の桜が満開の花枝を空に差し伸べている。
推定樹齢200年、「志津摩(しづま)桜)」と命名されたその木の手前にはテントが張られ、地域の人々が地元の産物を商っている。どの顔もにこやかで元気がいい。周囲は公園と言うには未(いま)だしだが、沼に面した辺りには菖蒲の苗が植えられ、着々と整備が進むだろうことが察しられる。麗らかな陽気に、訪れた人たちもみな華やいでいた。
「志津摩桜まつり」と銘打たれたその催しは、今年で第2回目。そもそもの発端は、小社が2001年に刊行した行橋市在住の歴史研究家・白石壽(ひさし)氏の『小倉藩家老 島村志津摩』にある。
島村志津摩は、1833(天保4)年小倉生まれ。弱冠二十歳より計三度家老職に就任、小倉織や養蚕を奨励するなど藩政改革を進める一方、長州戦争では軍事面の指揮者として奮戦した。維新後は苅田町に隠棲し、元藩士の救済事業として田川で炭鉱経営にあたるなどしたが挫折、1876(明治9)年44歳で没している。
知られるように、小倉藩は譜代藩として長州との戦の矢面に立ち、最後は梯子を外されるようにして孤立、自ら城を焼き潰走した。その陣頭に立ち、藩に対する忠誠と武人としての面目を貫いた島村の生涯を、30年に及ぶ調査・考証に基づいてまとめたのが白石氏の著書だ。島村終焉の地についても、同書で初めて明らかにされた。
この本をたまたま歴史好きの苅田町役場職員が読んだことから、話は展開する。島村が郷土二崎で没したことを知ったその人は、区長らに働きかけて白石氏の講演会を企画、講演を聴いた地元の人たちが顕彰会を組織。一方、その数年前、台風の後片付けの際に、周囲を覆っていた樹木を伐り払ったことから屋敷跡傍に生育していた一本桜がその全貌を現し、保存意識が高まっていたところに島村の話が繋がり、併せて桜の保存会も結成される。
2007年から始めた「農地・水・環境保全対策事業」のモデル地区にという町のねらいもあるようで、現地ロケーションと祭りの賑わいぶりを見た私が「これは島村記念碑が必要なのでは」と口走ると、件(くだん)の役場職員・金丸晴樹氏は「周囲をさらに整備し、ゆくゆくはここにお年寄りや子供たちのための憩いの施設を造りたい」と答えた。目指すところは「記念碑」どころではなかった。
「名のある武士が住んでいた」などの言い伝えは残っていたものの、田畑や沼や雑木からなる何気ない風景としか見えない里の一郭が、一冊の本が機縁となって見直され、長年主人公に寄り添っていた桜の、前触れのごとき出現とも相俟って、新しい「町おこし」の舞台となる。
この現代、「本」にどれほどの意味と力があるのか──これは出版に携わる者の日々の問いだが、この日私はその稀有な “具現” に際会することができた気がした。「夕方からはライトアップがなされテレビ取材もあるので、この後もう一度、今日は4回ここを訪れることになる」と、案内していただいた白石氏は半分愚痴った。けれど誰よりも嬉しそうだったのは言うまでもない。
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「桜花」に過剰な思い入れを重ねる美学を今更なぞりたくはないし(それなら、朽ちたまま冬さえ越す紫陽花の方が、或る面いとおしい)、「霊魂」をあげつらう趣味も私にはないが、満開の桜の木の下──そこは、永遠なるものと儚いもの、美しいものと怖いもの、そして死者と生者が出逢う場だとも思える。一挙に熱を帯び始めた大気の下、それらが花びらに仮象してひらひらと風に乗り、ひそやかに交錯し交歓する。そう……あの時のように。
[2/7最終]
→花乱社HP