■久し振りに装丁を──光畑浩治・棚田看山著『田舎日記・一文一筆』 |
本は5月下旬刊行の『田舎日記・一文一筆(いちぶんいっぴつ)』(文:光畑浩治、書:棚田看山)。内容については「高校卒業半世紀後のコラボレーション」で少し記した。
簡単に著者紹介を。エッセイ執筆の光畑(こうはた)さんは、1946年、福岡県行橋市生まれ。福岡県立豊津高等学校卒業後、行橋市役所に。総務課長、教育部長などを経て、2007年に退職。著書に『ふるさと私記』、編著に『句碑建立記念 竹下しづの女』、共著に『ものがたり京築』、『京築文化考 1~3』、『京築を歩く』がある。行橋市在住。
光畑さんとは『ものがたり京築』(1984年)以来30年のお付き合いで、『句碑建立記念…』を除く著書のすべてを私が編集担当しただけでなく、文化課におられたこともあってその人脈は幅広く、京築(けいちく:旧京都郡・築上郡・行橋市・豊前市の範囲を指す)地域をフィールドとして、おそらく20冊程の出版話を相談・紹介され、手掛けてきたのではないだろうか。勿論、今回の本の仕掛人も光畑さん。
書家の棚田(本名・棚田規生)さんの揮毫は、いずれも素晴らしい。1947年、福岡県みやこ町生まれ。光畑さんとは福岡県立豊津高等学校の同級生。福岡教育大学特設書道科卒業後、福岡県立大里高等学校教諭(書道)を振り出しに、八幡中央、京都、豊津を経て北九州高等学校で定年退職。北九州・京築地域には教え子も多いことだろう。2008〜14年、行橋市歴史資料館に勤務。共著に『三輪田米山游遊──いしぶみガイド 』がある。京都郡みやこ町在住。
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本文から一話紹介しておこう(一部割愛)。
ドラマのセリフ
運命の矢は前から来るから避けられるが、宿命の矢は後から来るので避けられない──これは、韓国ドラマでのセリフだ、なかなかの言葉だと記憶している。
韓ドラでは、随所に人生の指針となるような洒落たセリフがさりげなく出てくる。それも韓流ブームの魅力のようだ。それに比べ、日本のドラマから面白さが失われていったのは、一つには、心打つセリフがなくなったからではなかろうか。漢字、ひらがな、カタカナと視覚で思いを伝える文章に対して、映像の中では、喋ってとどく会話など、聴覚で理解するセリフに、もう少し気遣うドラマがあってもいいようだ。
平らな横文字にはない、流れる縦文字の文化を持つ日本語の奥深さを考えてみれば、もっと、もっといろんな表現ができるはずだ。多くの想いを添える “ことば” を持つ国民として、まだまだ工夫を凝らしたセリフの醍醐味を味わってみたいものだ。
また韓ドラは、生きる人間の姿を徹底して描く。権力に向かう姿にしても、愛を成就する真っすぐな気持ちの表現など、とにかく生きて、生きて、生き抜く、がむしゃらさが登場人物から伝わってくる。画面の映像は、取り立ててどうということはない、舞台装置も贅沢ではないし、ロケ地の景色も、ごくありふれた場所のようなのに、惹きつけられる。これは、やはりセリフのようだ。
監督が、姿を映すよりも心を映すことに真摯に腐心しているからだろう。国民性と言えばそれまでかもしれないが、生きていく人の姿、生きたいと願う人の心は、どこの国でも同じだろう。
で、時折、ドラマのセリフが、ふっと生活の中でよみがえる。次のセリフは、我が子の師匠になろうとする人物に、母親がお願いする、一場面の言葉だ。
──奪う力ではなく、分け合う力、恥を知る心。そして、おのれが手にしたものが取るに足らぬ、という真(まこと)の力を持たせてほしい。
活字文化から映像、ネット文化へと移行していく。が、いつの時代であっても、ことばの力は無限だ、と思う。人間、日々、ことばの中で育まれ、心をつなぐことばに励まされ、慰められる人々がいるのだから、その力を信じていきたい。そう、ドラマの魅力は、なるほど、と伝わる、生きたセリフなのかもしれない。(2013・4)
この文章中から一文字を選び添えられた揮毫が「味」。筆素材(穂先)はワラ。

余談ながら、「運命の矢は前から来るから避けられるが、宿命の矢は後から来るので避けられない」という台詞は、一瞬ドキッとさせられるような、だけど本当にそうかな? とも思わせられるような……。いずれにしろ、運命も宿命も、そもそも避けなければならないものというのが、いかにも悲劇・不幸好みの韓流ドラマらしい。
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以前居た会社では2カ月に1冊程度は自分で装丁をこなしていたが、花乱社創業後は、色々な意味で変革・飛躍を果たしたく、その大半をデザイン・プール(北里俊明氏・田中智子氏)にお願いしてきた(花乱社選書〔既刊4冊〕は私が装丁)。小社のロゴ・マークもデザイン・プールの制作で、お二人には随分と助けられてきた。
言うまでもなく、このユーモアと人生のヒントにあふれた奇想天外な本の魅力をどう伝えきるか──というのが今回の装丁の眼目。
表紙カバーについては、およそのイメージは持っていたが、具体的に写真と書画像を配置し、細部を詰めていく。“装丁勘” を取り戻しながらの作業、勿論周りからも意見をもらう。
編集者として本作り最後の仕事が、帯文(キャッチ・コピー)の考案。装丁をデザイナーに依頼する準備段階でもこれがなかなか纏まらないのだが、自分でやる場合は、あらかじめPC画面上に文字枠を設定し、そこに言葉や文章を当てはめて推敲しつつ、体裁を整えていく。文章・フォント・レイアウトを何度でも手直しできるのが、自分で装丁する場合の苦心のしどころだし、醍醐味。やっていて次第に、本気で遊び出していた。
結果、何とか「装丁」と言えるところまでは行ったのではないかと思っているが、さてどうだろう。ちなみに、カバー著者名の「畑」と「山」の色を違えた意図(一種の洒落)は、分かってもらえると思う。
題字は勿論棚田さん、写真撮影は川上信也さん。そして、ヘッド・コピー(「コンニャクででも…」)は、瓢鰻亭(ひょうまんてい)ひまわり主宰・前田賤(しづ)さんによる「なかがき」(というのも入っている。これも珍しいはず)から頂戴した。当然、コンニャクによる揮毫もバッチリ掲載。

[4/28最終]
→花乱社HP