■週替わりの夕暮れ[2014.5.11]、そして『8月の家族たち』 |
でも帰り際、まことに凡庸ながら、今日は今日の夕暮れが訪れてくれた。
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ついでに、掲載するものがない場合を考えて西ノ堤池で撮った写真も出しておこう。歩く者を楽しませてくれている花たち。
![■週替わりの夕暮れ[2014.5.11]、そして『8月の家族たち』_d0190217_22523570.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201405/11/17/d0190217_22523570.jpg)
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小さな映画館でジョン・ウェルズ監督『8月の家族たち』を観た。『ゼロ・グラビティ』などとは全く違ったハラハラドキドキ、とても面白かった。
チラシ紹介文も秀逸なので、そのまま掲載しよう。
【8月の真夏日、父親が失踪したと知らされ、オクラホマにある実家へ集まった三姉妹。真面目すぎて暴走しがちな長女バーバラと、反抗期の娘、実は別居中の夫。ひとり地元に残り秘密の恋をしている次女アイヴィー。自由奔放な三女カレンと、その不審な婚約者。彼らを迎えるのは、闘病中だが気が強く、率直で毒舌家の母ヴァイオレットと、その妹家族。生活も思惑もバラバラな “家族たち” は、つい言わなくてもいい本音をぶつけあい、ありえない “隠しごと” の数々が明るみに──】
![■週替わりの夕暮れ[2014.5.11]、そして『8月の家族たち』_d0190217_11441336.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201405/12/17/d0190217_11441336.jpg)
つい言わなくてもいい本音をぶつけ合う家族の中心人物は、母と長女。これがメリル・ストリープとジュリア・ロバーツとくれば、どれほどシリアスで凄まじい場面が展開されるかあらかじめ想像できそうだが、その葛藤の歴史と “口撃” のリアリティは想像を超えて母娘関係の本質にまで昇り詰め、思わず喝采したくなるほどだ。
寄る辺のない現代人とその家族が直面し抱え込みそうな問題が次々と出てくる。ロングラン舞台を映画化したものだけあって、脚本が素晴らしいし、それぞれの人物像と “秘密=隠し事” を次第に明らかにしていく手際も見事だ。
加賀まりこの感想に「家族に見返りを求めない。老いていくことは孤独を引き受ける覚悟が必要だ。この映画に教わりました」とあるように、映画の最後、登場人物は皆、さらなる孤独へと還っていく。
実は誰も、自分で思っているほど孤独に強くはない。2時間の映画が、そうした孤独との向かい合い方や、慰めや赦しを提示してくれるはずもない(観終わった後、不思議なカタルシスはある)。それらは各々が、「愛おしいからこそ憎らしい」家族や男と女という関係世界──その悲喜劇の中で探し求めていくしかないものだろう。勿論、私の大好きなサム・シェパード演じる詩人でアル中の父親のごとく、月影に照らされた美しい湖にボートを出して飛び込むなんぞという身の処し方でなく。
結局のところ映画が “現実を映し出す” ファンタジーであるとすれば、この『8月の家族たち』に描かれた世界すらなおファンタジックかも知れない。その時私は、「リアリティとは、現実とファンタジーとの間(あわい)にあるものだ」(内田樹)という言葉を思い出す。そう、そもそもファンタジー(ロマンと言ってもいい)にとらわれることがなければ、「生」のリアリティを求めて悩み苦しむこともないだろう。だが、そうはいかないのが人間だ。
[5/13最終]
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