■またもやバイク車検──見果てぬロード・ムービー |
改めて車検証を見直してみると、初年度登録が1989年。つまり、買った年を1年目とすると26年目。まあともかく、まるまる四半世紀は付き合ってきたことになる。
この間、今だから言うが、迂闊にも車検が切れていたことに気づかないまま1年近く乗っていたこともあるし、実は今回も半月ばかり過ぎていた(せいぜい “通勤ライダー” なのでお目こぼしを)。
そういう関係なので、1週間振りにバイクに乗るのは、やはりワクワクものだった。おまけに、車検を頼んだバイク屋(福岡市中央区大手門「ホンダウイング角地」)の一人店長はまたもや、雨風や埃に塗れている箇所だけでなく、私がとっくに諦めていたマフラーのダメージまで可能な限り磨き上げてくれていた。車と違って、点検・整備の実態がスロットルやブレーキに即座に反映する。

そもそも水冷エンジン(バイク少数派)なので空冷用のフィンは必要ないのだが、このバイク、“伊達フィン” を切り込んでいる。バイクの魅力は、やはり排気音とむき出しのボディ(特にエンジン部分)。
実家が町工場だったせいか、フェチというほどまではないが、磨き上げられた機械を見ていると気持ちが落ち着く(それがさらに有機体と合成されたフォルム──即ち、この5月に死去したスイス人画家H・R・ギガーのデザインによる「エイリアン」やその宇宙船内部のごとくにまで造形されると、気持ち悪さと背中合わせの強烈なエロティシズムを発する)。

[H・R・ギガー画集より/ギガーにはSM・倒錯的な過激な絵がたくさんあるが、ここでは到底出せない]

日本でも大型スクーターが格段に増えているはずだが、若者のバイク離れ自体は深刻らしく、近年の新車購入者の平均年齢は50歳を超えている、と。それで言えば、このところ、車所有も(異性にもてたい)若者の必須条件ではなさそうだ。
かつて多くの若者(男性)は、女性を誘うためにいじらしいほどの無理をして車を所有し、競っていた。中には、内部にカーペットを敷き詰め、靴を脱がないと乗せない者もいた。気の合う仲間と二人、『ルート66』のごとく──誰かを探し求めて──とろとろと車を “流す” 夜の街はさぞ魅惑的だったことだろう。多くは、徒労感に打ちのめされながら孤独な褥(しとね)に戻るだけだったにしろ……。
今、若者たちは一体、何処をクルーズしているのだろう。
[5/29最終]
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