■愛をめぐる鮮烈な自己史──山本友美著『また「サランへ」を歌おうね』 |
以下、ようやく書き上げたPR用の挨拶文を、一部カットして掲げる。

【著者の山本さんは1949年、長崎市生まれ。高校卒業後、福岡市内の大学に勤務。1971年、筥崎宮の夏越祭の夜、在日韓国人二世の青年・李卜之氏と出会います。李氏は山口県小野田市出身、山口大学工学部卒業後、叔父(在日一世)の運送会社を手伝っていました。付き合い始めて3年、二人は周囲の反対を押し切って結婚することに──。
本書は、その出会いから結婚、その後も続く根強い差別と偏見に抗しつつ、三人の息子を育て、夫・山本氏(改名後)が大学講師となるまでを綴った「父のなまえ」(第36回部落解放文学賞〔記録文学部門〕受賞)を出発点に、生活現場の中で遭遇する “日韓の狭間” をめぐって、さらに、父母を看取り、様々な出会いと別れを経る中、いわば著者がより社会性に目覚め、高校時代から親しんできた文章表現の世界を深めていく道程を綴った自己史です。
山本さんの作品の魅力については、詩人・金時鐘氏の序文中に「あくまでも事実に即して自己と父と、在日朝鮮人の夫との三者の存立を、同時代を共に生きる異邦人と位置づけて、現実の事実を突き抜けていきます。(略)父と交わる暮らしのなかで日本と朝鮮の歴史的しがらみを和ませていって、山本友美は誰にも増して韓国・朝鮮を身近なものにしてゆきました」と書かれていることでほとんど言い尽くされているように思います。
韓国語や居住した各地(長崎、山口、福岡)方言を取り込んだ会話や、自身内部のものも含めた様々な葛藤をありのままに描き出していく独特の筆致に導かれて、私たちはいつしか、国境や差別を超え、男と女、親子係累の間で育まれ根を張っていくものとしての「愛」に思いを及ぼし、確かな感動に包まれることになります。
今日の、特に若い人々はもっと軽々と国境や民族差別・相剋を超えて生きているように見えます。ただ、こうした問題すべてが本当に乗り越えられ、後戻りすることなどないのかどうか──それは最終的には一人一人の心の中の問題でもあり、やはりそれぞれがどう生きていくかに係っているということの一つの証左としても、この一人の女性の半世紀に及ぶ自己史が広く読まれていくことを願ってやみません。】
[山本友美さん/山本尚生氏撮影]

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本書には前記金氏の序文のほか、劇作家・田島栄氏の解説「山本友美さんとその作品」を収め、さらに山本さんの文学上の師である評論家・松原新一氏(2013年8月13日死去)が、部落解放文学賞受賞間もない時期に「父のなまえ」を柱に執筆した文芸時評的な論考──「国家百年の暗がり」の前で(『叙説』Ⅲ─06、2011年4月)──を特別収録とした。
当初私は、松原氏の既発表原稿を掲載することについて躊躇いがあり、別刷り差し込み案も提示した。本文以外に3本の“寄稿”が入ることになるし、一部を割愛しても2段組20ページの存在感は大きく、山本さんの作品の「読み方」を枠づけてしまう結果となることを懸念したからだ。
最終的に収録についての山本さんの強い意思に従ったのは、師を思う気持ちに打たれたこともあるが、この論考が間違いなく渾身の力を振り絞って書かれたものだからだ。雑誌発表のままにしておくのは実に惜しい。濃密で鋭利、全文に漂う切迫感は、どこを切っても血がほとばしりそうだ。ここでかいつまむことができないのが残念だが、過ぐる日本の100年、私たちの祖父母・父母の世代の生活意識に公然・隠然とからみついた「ナショナリティーの暗い軋轢」(原文より)について、これほど痛切極まりない文章に私は触れた記憶がない。
末尾の部分を抜粋する(改行を加えた)。原稿タイトルの含意を伝える箇所でもある。
【彼女〔山本友美〕に同人雑誌『河床』三十号に発表された「投稿癖」という作品がある。ある文学賞に応募した作品が次席の評価で、当選作にはならなかった。嘆き悲しむ山本友美に父親が「実はとうちゃんはずっと考えとることがある。おまえはどう解釈するかわからんが」と前置きして、「もう今の内容で書いてくれるな(略)」というのである。
娘が結婚して既に二十年もの時間が経過した頃の話である。夫は帰化した後で(略)ある工業大学の教師の仕事に就いた。三人の息子たちもほぼ順調に成長を続けている。娘がそういうとにもかくにも一応の生活の安定を得た状況にあって、なおこの明治生まれの父親は「夫が韓国人ということを、もう書いてくれるな」というのである。これは読者の肺腑を抉ることばである。
父親は娘の結婚に同意し、執拗に要求していた娘婿の日本への帰化も、苦悩を胸に鎮めた彼の決意のもとに実現し、孫の誕生・成長にも恵まれながらも、心の底では娘婿が韓国人に他ならぬ事実に拘り続けていたのであったろう。
民族的エゴイズムが骨の髄まで深く染み込んだ差別者の一人で、自分自身があればこそ、この父親は「差別と偏見」の陰湿な暴力性をよく知っているのである。そこには、自分自身が家族全体を含めて被差別者の位置へと逆転する予感を払拭し得ない恐怖と不安があったにちがいない。
この父親の恐怖と不安とは、「国家百年の暗がり」にこそ宿っている。それを「無理解」の父親とあっさり断罪することはできぬ。(略)金敬淑「夢から覚めて」中の「時とは明日へと進むものなのに/時代はどんどん引き戻され/暴言は今、暴力となり/きっとそろそろ血まみれのチョゴリが/拉致被害者への生贄と称され/国家の許す事となるのだろうか」と記された不安のことばは、けして無根拠ではない。「時とは明日へと進むもの」ではあっても、条件さえそろえばそれが契機となって、歴史は「どんどん引き戻され」得るのである】
執筆当時、松原新一71歳。これほど硬骨の書き手だったとは。だが、自己の不明を恥じるより先に、金敬淑氏及び松原氏の発したメッセージが、今こそひどくリアルに迫ってくることを虞(おそ)れなければならない。
●金敬淑氏の詩は『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』(2010年)に掲載されたもののようだ(現物未確認)。
[この項書き掛け]