■小倉・紫川河畔での「還暦+1年」高校同期会 |
高度成長期に差し掛かる少し前の時代、町工場を営んでいた私の親は、商いが一応は順調に推移していったのだろう、手狭になったということで工場兼住居を何度か移した。勿論、子供にとってはちっとも嬉しいことではなかったが、私が小学5年の時には、小倉(北九州市)の黄金(こがね)町から弁天町に引っ越した。
そこではこの季節、黄昏時になると、数多くはないが蛍が飛んで来た。時として家の中まで入って来る。日に日に湿度を増す空気の中、電球色に染まった暑苦しい食卓の上を、微かに明滅する青白い光がスーッ、スーッと横切った。それこそがまさに私にとっての当時の──ドラマ『若者たち』に見られるごとき──団欒風景の原型であり、時たま、蛍が訪れる前にはやっぱり茶碗が飛んでいたりもした。
さて、蛍はどこから飛んで来ていたのか。のちに蛍狩りらしきものに行って分かったのは、700メートル程離れた紫川からだった。かつて「川」というものは、そのどぶ臭さも含めて、辺りに湿度の高い濃密な空気を放つ存在だったように思う。
その紫川の河口近くのホテルで、5月末、還暦同窓会(→還暦同窓会──「異人」たちとの夏のひととき)から1年後の高校同期会が開かれた(紫川については→50年前の小倉・紫河畔)。
[会場となったホテル・クラウンパレス小倉と紫川]
参加者55人。高校時の比率と同じく、女性が少し多い。2階フロアを貸し切った形で一次会、そしてホテル内で席を替えて二次会。刻々と深まりゆく夕暮れ、まさに蛍雪時代を共にした仲間と、それぞれ明滅する記憶を綴り合わせどのように青春の輝きを辿ったことだろうか。
川がずっと、濃密な空気を放ち続けているように感じられた。
[校歌斉唱風景]
[これぐらいのサイズだったら誰も怒らないかな]
[二次会後、河畔での騒ぎを月も見ていた]
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そもそもこの「還暦+1年同期会」の企画は、昨年の還暦会時点で当時の世話役側から「次回は10年後」という提示があったことがきっかけとなった、と言っていい。いくらなんでも10年後(古稀)は遠すぎるのではないか、と思っていたところに、「毎年やりたい」と言う人が現れた。
折角、多くは四十数年振りに集い盛会だったのだから、たまたま参加できなかった人もいるだろうし、10年後にはどれくらいの人が元気でいるかどうか分からない、居住地も変わる確率が高いのであまり間が空かない方がいい……といったところが主たる理由だったか。何より、行く末分からない齢になったので毎年楽しみたい、と。
私もさすがに毎年はどうかと思ったが、情熱をもって何かをやりたいと言い出した人間をほっとくわけにいかなくなり、ささやかでも自分にできるかぎりの協力をしたい、と思った。
毎年同期会──その際、私個人が基本の考え方としたのは下記の五点。
1)開かれた集まりにしたいので、広く声を掛けて「呼掛人」を増やしたい。なんなら全員が「呼掛人=参加者」を目指す。
2)今後、世話役メンバーがどう替わろうが、無理なく引き継げるやり方を構築する。
3)会計収支報告をきちんと行いオープンにする。
4)特に金銭面では一年ごとで決着をつける(何も繰り越さない)。
5)同期会本番では、できるだけ一人一人が発言する場面がほしい(交錯や新発見がないのならクラス会で事足りる)。
これらはあくまで私が、できればこうありたいと考えたことであり、数度行われた準備会でも殊更並べ上げて口にしたわけでもなかった。突き詰めてしまえば、せいぜい同期生たちの一夜の食事会。単純明瞭、オープンなのが一番、特定の誰彼にあまり大きな負担が掛かるのは避けたいし(いつ、誰が倒れるか分からない)、何かの利害が絡んでいることでも全くないので、一回一回、終わったらきれいさっぱりと「片付け」てしまおう、と。
勿論、こうした催しには、ちゃんとやろうとすればするほど、事前の打ち合わせや準備が欠かせない。段々と面倒なことになる。案内書一枚の内容についても、受付・司会他当日の運営についても、多様な意見が出てくるし、まとまるまでにはそれなりの手続きと時間が必要だ。そして、こうした機会で大事なのは、そのプロセス全体についても──すべて自弁にて──関わった人間たちが楽しめること、ではないだろうか。
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さて、同期会を終えて、結果、私の考え方は、他のみんなとほとんど共有できていることだったように思う。知恵や意見を出し合えば、やはり落ち着くべきところに落ち着くものではないか(以上、あくまで個人の感想)。
ただし、当然と言えば当然ながら、「一夜の宴会、後は何も繰り越さない」というわけにいかないのが、不参加者からも募った「通信経費」が残ったこと。中には、「経費」ではなく「寄付」と見なすしかないほどの金額を送ってきた人たちもいる。
今のところ詳しく聞いていないが、総勢二十数人。言うまでもなくこれは、今後毎年続けてくれ、という意思表示である。即ち、参加者55人に加えれば、80人程の賛同者がいたわけだ。
では、“毎年同期会” のスタートとして「成功」したのかどうか。事前に、同窓会を毎年やるとだらけてしまい、盛り上がらず、結局自然消滅(?)する、という意見も聞いた。これは、いわば一般的な「同窓会継続・盛り上げテクニック」の話として分からないことはない。けれど、たかだか高校同期の会、楽しみ方は色々だし(そもそも連絡先不明や全く無関心の人もいる)、「盛り上げる」ために10年間控えるという代物でもない。盛り上がって成功したかどうか──最終的にはそれは、人数をカウントして問うべきものでもないだろうし、いずれにしろそれほど肩肘張る話ではない。
ともあれ、「毎年開催」の旗を掲げた誰かが居て、では手伝おう、一緒にやろう、という人たちが現れ、その輪や繋がりを広げていった結果、集まった一人一人にとって愉快で大事な場となったのなら、自ずとその成果は来年、そして再来年と積み重なっていくのではないだろうか。引き続き大事なのは、片思いの(振られた、でもいいけど)相手を振り向かせたいのなら、結局自分を磨き続けるしかないのと同じ。
[7/15最終]
→花乱社HP