■週替わりの夕暮れ[2014.6.15]天草編 |
松橋から宇土半島─大矢野島─天草上島─天草下島(すべて架橋されている)と、2時間掛かる。いずこの島も農地は少なそうだが、予想以上にと言うと失礼ながら、海岸沿いをどこまで行っても人家・集落が多い。本土側から見れば確かに天草は辺境だろうが、逆に積極的に海へと乗り出していく民にとっては、この島嶼はうってつけの根拠地だったことだろう。歴史は、陸に生きる者たちだけが作ってきたわけでなく、その行動範囲からも自由な気性が想像できる(島国根性とは、陸地にしか暮らしの場がないと思い込んでいる者の了見だ)。
![■週替わりの夕暮れ[2014.6.15]天草編_d0190217_9565757.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201406/17/17/d0190217_9565757.jpg)
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富岡城は、砂州で繋がった陸繋島・富岡半島(上の地図では、苓北町内の出っ張った疣状の箇所)の丘陵上に築かれ、陸からの攻撃は砂州のみしかなく天然の要害であった、と。石垣には赤みを帯びた石が使われ、どことなく南国風。
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結局、今日はウォーキングの時間がとれず、やむなく近所の小学校校庭から夕日を眺める。日没でも、月の満ち欠けでも、不意打ちのごとき訪れこそが美しい。だから、空を見上げる癖をなくすわけにいかないのだ。
![■週替わりの夕暮れ[2014.6.15]天草編_d0190217_23472799.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201406/15/17/d0190217_23472799.jpg)
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