■ゆっくりたどる「ふるさと」──藤井悦子著『豊前国三十三観音札所めぐり』 |
本書は、旧豊前国の宇佐から耶馬渓・中津・上毛・豊前・行橋・香春・小倉に至る市町村に分布している三十三観音札所を、紀行エッセイを交えながら案内したもの。
この豊前国三十三観音札所は江戸中期、小笠原公の時代に誕生。最盛期は英彦山、求菩提山、宇佐神宮などを中心に九州一円に檀家を抱えていたが、廃仏毀釈や世界大戦により民衆の生活全般が一変し、そのうちに札所の地の大方は忘れられていった。三十三カ所の内、現在、住職在寺の札所は十カ寺に過ぎない、と。
著者の藤井さんは1942年、福岡県築上郡上毛町生まれで豊前市在住。農業を営む傍ら、10年をかけて三十三観音を尋ね歩き、地元「くろつち短歌会」の会誌『藍』に寄稿、それを一書にまとめた。史料にあたり、教育委員会に問い合わせ、管理寺や各地区で世話をされている方を訪ねるなど、辛抱強い「札所めぐり」が結実したわけである。
「その文章には独特の風情と親しみがある」とは、序文をいただいた福岡女学院大学講師・半田隆夫氏の評言だが、札所案内文の末尾に添えられた藤井さん自作の短歌がいい、という感想もいただいた。
本文より9首を掲げておこう。「誰にでも分かる歌を」という、作者の優しい心根がよく伝わってくる。なお、所在地は旧地名で表記。
自転車に神宮の川土手下校する宇佐の乙女子頬赤くして
──一番札所/宇佐・大楽寺
春たけて祈りの谷をゆきゆけばさみどり直(す)ぐき山うどの生(お)う
──七番札所/東谷村・岩屋寺(龍谷堂)
そそり佇つ巌のしたたり身に受けてがまが座します大日如来
──十四番札所/求菩提・五箇岩屋(吉祥窟)
届きたる今川べりの一葉の柳瀬観音いま花明かり
──十八番札所/簗瀬村・簗瀬寺
上(のぼ)りくる十七日の月まさびしく輪廻転生稗田の踊り
──二十三番札所/稗田村・大吉寺
軒の端に干柿むしろにとうがらし等覚寺本谷中之坊往く
──二十六番札所/等覚寺村・等覚寺(東伝寺)
地の闇を抜け出で浄き滝水の光あふるる菅王寺の森
──二十九番札所/滝川村・菅王寺(滝寺)
お守りを身につけ兵士の旅立ちし身代り観世音の木札小さし
──三十一番札所/内田村・朝日寺
みつまたの香りひろがる英彦山に幕末維新の殉死者眠る
──三十三番札所/英彦山・鳥尾寺

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