■ヘイキショでの蝉捕り──週替わりの夕暮れ[2014.7.19〜21] |
クマゼミは言うまでもなく、小学生の頃、蝉捕りにおける意中の相手だった。高学年の夏休み、家(当時は北九州市小倉北区弁天町)から2キロ弱のヘイキショまで遠征した時は、驚喜して20匹程も捕まえたのではなかったか。翌日には虫籠の中でほとんどが息絶えていた(次第に、帰り道に逃がすようにしていた気もする)。ともかく、ただ捕獲数だけが問題だった、ガキの殺生。
当時は勿論知らなかったが、私たちが「ヘイキショ」と言っていたのは、小倉兵器廠(小倉陸軍造兵廠)のこと。1945年8月9日、悪天候により変更されて長崎に落とされた原子爆弾「ファットマン」の、当初の投下目標とされた軍需工場の中心地域。私たちが蝉捕りをしていた時も、まだ多くの工場は廃墟同然、窓ガラスの大半が打ち割られたままで、内部の虚ろな暗がりを夏空に曝していた。
詳しくは聞かなかったが、1945年当時母は、そこから5キロ程の八幡の三条に住んでいたようなので、小倉に原爆が投下されていれば、私は生まれていなかったかも知れない。原爆投下は “ガキの殺生” とは訳が違う。
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クマゼミから、あらぬ方向へ話が飛んで行ってしまった(なお、クマゼミについては2年前にも書いた→ある蝉の肖像)。
日差しを避けて、普段より少し遅くウォーキングに出発(私のウォーキング・スタイルについては、3年前に書いた「闘うウォーキング」を見てもらいたい。今でも変わらない)。
何でもない光景だが、緑を見るとやはり気持ちが落ち着く。森の中で大きく息を吸い込むように、眼裏(まなうら)全体にしっかとその色を映し込んで、英気とする。
![■ヘイキショでの蝉捕り──週替わりの夕暮れ[2014.7.19〜21]_d0190217_22521613.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201407/20/17/d0190217_22521613.jpg)
これまた何の変哲もない夕暮れと言うべきだろうが、これはこれで佳しとしよう。
![■ヘイキショでの蝉捕り──週替わりの夕暮れ[2014.7.19〜21]_d0190217_22534330.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201407/20/17/d0190217_22534330.jpg)
![■ヘイキショでの蝉捕り──週替わりの夕暮れ[2014.7.19〜21]_d0190217_22543240.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201407/20/17/d0190217_22543240.jpg)
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昨19日、事務所(福岡市中央区舞鶴)から見た夕暮れ。小さなドラマの予感。
![■ヘイキショでの蝉捕り──週替わりの夕暮れ[2014.7.19〜21]_d0190217_22551461.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201407/20/17/d0190217_22551461.jpg)
![■ヘイキショでの蝉捕り──週替わりの夕暮れ[2014.7.19〜21]_d0190217_22563675.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201407/20/17/d0190217_22563675.jpg)
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そして、21日。久し振りに連日歩く。
カメラを空に向けて撮りはしたが、太陽は、西に没する前に早々と姿を隠した。
![■ヘイキショでの蝉捕り──週替わりの夕暮れ[2014.7.19〜21]_d0190217_21213350.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201407/21/17/d0190217_21213350.jpg)
![■ヘイキショでの蝉捕り──週替わりの夕暮れ[2014.7.19〜21]_d0190217_21214548.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201407/21/17/d0190217_21214548.jpg)
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