■週替わりの夕暮れ[2014.8.3]、そして「秘すれば花」 |
禊なんぞに行くのではなく
ただの命として
始原の森の匂いを思い起こすため
気まぐれな雨の中をこそ歩かねばならない
宝物を隠し埋めに行くのではなく
雨と汗にまみれた躰でもって
命の焔(ほむら)を燃やすため
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[雨中の日没]
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![■週替わりの夕暮れ[2014.8.3]、そして「秘すれば花」_d0190217_21553350.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201408/03/17/d0190217_21553350.jpg)
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吉本隆明はある鼎談中で、「日本の思想書百冊を選んでみろ」と言われた時の感想を語っている。
「日本の古代からの思想は、思想を思想自体で体系的に述べているとか抽象的に述べているとかということよりも、何々についての思想、たとえばお茶はどう点てて、点てることはどう意味があるのかといった意味での思想とか、芝居はどう演ずるのか、年齢は演技とどうかかわるのか、ということについての思想とか、つまり何々について述べられた思想はかなり見つけやすいんですが、思想を思想自体として抽象的に述べたものを見つけるのは大変難しい。もし〔日本の思想の〕特徴と言うのなら、それじゃないかと思います」(吉本隆明・梅原猛・中沢新一『日本人は思想したか』)
確かにこの島国は、「我思う、ゆえに我あり」(コギト・エルゴ・スム、『方法序説』1637年)と言ったデカルトのように、思考とは何か、そもそもどう思考すればよいのか、などということ自体に思考を巡らす人間を生み出さなかった。「自分」とは何ものか──と考えた人間は本当に居なかったのだろうか。
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では、「何々について述べられた思想」、例えば猿楽(能)を論じた『風姿花伝』(1400年頃)の中で、世阿弥は何を語ったか。
「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」
名高く意味深な一節。斉藤征雄氏は『世阿弥の能を読む』にて、
「私も『風姿花伝』を読む前から、(略)心を奥にしまい込んで秘することによって、観る者に何とはない奥ゆかしさを感じさせることができる。それが秘すれば花ということだろうと勝手に解釈していた。ところが(略)世阿弥のいっていることは全く違うことを知らされた。(略)秘すれば花とは、いってしまえば『敵に手の内を見せるな』の一言に尽きるのである。それは、芸能で飯を食う者の現実的でしたたかな計算に基づいた戦術なのである」
と言う。あまり深読みしたり拡大解釈したりすると、その分世阿弥から離れることになる。ただし、ここでの戦術とは、単なる思いつきや小手先の細工ではなく、世阿弥の論は、徹底的な稽古を前提にしていて、そしてそれを最後に「花」として咲かせるための気働きを工夫する心と言っていることを忘れてはならない、と。
芸能で飯を食う者の現実的でしたたかな計算に基づいた戦術……。
即ち、「自分」とは何ものかと考えるのではなく、もっぱら「自分」というものの秘し方・殺し方を伝えてきた先人たち。
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全くの徒手空拳、ゼロ地点から物を考えるのは困難だ。だからと言って、解釈や分析や感想が、「思想」と言える地平に立てるまでには、途方もない時間と経験とが必要だろう。日暮れ間近で、道遠し。さてそれでも、何を、どこから考えたらいいものか。
気まぐれな雨の中……密かに花を抱えながら歩いた。
[8/5最終]