■長崎街道・黒崎熊手銀天街での歴史講座 |

私は八幡東区(旧八幡市)三条生まれで、市内を転々とはしたが、18歳までは北九州市に住んでいた(育ったのはほぼ小倉北区)。だが、最初場所を勘違いしていたこともあって、今回、熊手銀天街を訪れてみて、実はここに初めて足を踏み入れたということを確認した。いや、それどころか、JR黒崎駅の南、扇子を逆さにした形状のエリアに、それぞれ別の名を持つ十幾つかの商店街が広がっていることも初めて知った。
図面下部の黄土色「熊手通り」とあるのが熊手銀天街。この筋がまさに旧長崎街道で、そのままアーケード商店街になっている。

我が故郷と言ってもいいので書いてしまうが、実のところ、昨今「シャッター商店街」という表現を見聞きする場合、私が真っ先に思い浮かべてしまうのが、ここ黒崎アーケード商店街だ。ただしそれはほんの入り口部分を覗いただけの印象からだったこと、上記したように今回その広さ、通りの数に驚くとともに、少し歩いてみただけながら、改めてそうした状況の底深さを垣間見てしまうことになった。
そうした中でも、熊手銀天街にはどことなく明るい雰囲気が漂っている気がした。かつての街道だという自負もあることだろう。
この通りには幾つか横道が付いていて、薄暗い路地(これも一つの商店街)の奥に一軒だけ明かりが灯り、「ホルモン」と書かれた看板が下がっていたりする。うーん、レトロ──と言ってしまっては、きっと違うのだろう。それぞれに顧客がいて、夜はそれなりに賑わっているのだろう……。次は暗くなって訪れよう。


熊手銀天街の一角、このイヴェントの仕掛人代表・寺下良真(りょうま)氏が経営する「よつば」の前に長テーブルを出してもらい、少ない点数ながら店開き。訪れた当初は「やはり来たのが間違いか…」と思ったが、詳細な “商品説明” が功を奏し、結局4冊お買い上げいただいた。
そしてその場で、古代史家(本職は中学校理科教師)・古幸徳氏による歴史講座「北九州に足跡を残した物部氏は銅鐸の発明者だった!」が始まる(無料)。聴講者十数人。40分程度だったが、何事か? と訝し気な買い物客や郵便配達人などにも気遣いつつ、古氏は軽妙で分かり易い北部九州古代史の話をされた。
下の写真は、右=なにゆえか聞き忘れたがゴーグル様のものを装着して話をされた古氏、左=締めの挨拶する寺下氏。

旧長崎街道・現アーケード商店街での連続歴史講座。先程の「よつば」──何の店と言ったらいいのか、店PR文にはこうある。「世界の文物を運んだ長崎街道にアーケードをかけた熊手銀天街。宿場町の中心・歴史ある場所に “よつば” はある。地域と世界を結び、個人の夢を相互に繋ぎあう場所 “よつば”。“よつば” はそんな新時代のメディアシステムなのです」
開店してまだ1年。いわばこの得体の知れなさこそが、商店街に縁遠かった若者を集めているのではないか。何かを購うというのは狩猟行為の延長だ。何を売っているのか、何が出てくるのか──その混沌を覗きに人は市場(バザール)にやって来る。
[8/15最終]
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