■ 週替わりの夕暮れ[2014.8.10]、或いは自己中としての驟雨 |
最早懐かしい吉行淳之介に『驟雨(しゅうう)』(1954年上半期芥川賞)という作品があった。赤線通いを続けていた男がある娼婦に惹かれていくというたわいのない話。
その驟雨について、ウィキペディアに「降水強度が急に変化し、降り始めや降り止みが突然で、空間的な雨の分布を見ても変化が大きく散発的であるのが特徴。特に、短時間で止むような一過性の驟雨をにわか雨という」とある(驟という字は、馬を速く走らせることのようだ)が、先週は、なんとか大丈夫だろうと思いバイクで走り始めてやっぱり驟雨に見舞われる、ということがあった。
ポツポツと来たかと思う間もなく、大粒雨の一気の落下。引き返しても同じことだし、どこかに隠れる暇もない。えい、ままよ、とそのままずぶ濡れで目指す場所へ。鈍足台風の影響なので、にわか雨と違い、そう簡単に止まないことも分かっている。
その容赦のなさ、きっぱりとした様(さま)にほとんど感心しつつ、かなり迷惑だけどこいつはこうでしかないだろうという諦め(=了解)は、まさに自己中(自己中心的)だけど仕舞いにその一直線の情熱を褒めてやりたくなる人間に対するのと似た心持ち。
屁理屈はともかく、ここでは8日、事務所(福岡市中央区舞鶴)の窓から眺めた夕暮れを。やや “小振り” の雲の軽やかなハーモニーは、ハイドンの交響曲のよう。
![■ 週替わりの夕暮れ[2014.8.10]、或いは自己中としての驟雨_d0190217_22453166.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201408/10/17/d0190217_22453166.jpg)
![■ 週替わりの夕暮れ[2014.8.10]、或いは自己中としての驟雨_d0190217_22451237.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201408/10/17/d0190217_22451237.jpg)
[8/15最終]
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