■デイサービス施設での浪曲ライヴと姜信子にとっての「故郷」 |
「みんなの時間」は北野天満宮のすぐ近く、古い町並みを残した地域にある。千年乃松酒造の母屋を改修したとのことだが、酒造そのものも続けているようで、受付となっていた土間では五合瓶の販売もしていた。
建物内を詳しく見学する間はなかったが、柱や板張り、天井などどれにも立派な木材が使われていて、「古民家を改造」の看板に偽りはなかった。無論、上がり框などあちこちにしっかりと段差があってバリアフリーでは決してない。だが、非当事者の言と思われるかも知れないが、私は基本的にそうした “障害物” はある程度あった方がいいのでは、と考えている。何も負荷がなく、屋内を滑るように動けることが大事なのではないだろう。

40人程の聴衆が居ただろうか。主催者・田中弘美さんの挨拶の後、この浪花節ツアーの企画者である作家・姜信子さんの前置き。ジーンズ姿の姜さん、やや遠目からでも濃い顔立ちの中にボーイッシュさと知的な色気が同居していると感じられた。

そして、浪曲・玉川奈々福さん、曲師・沢村豊子さんで、演目「浪花節更紗」(玉川奈々福新作)が始まった。
自分のことながら不確かなのだが、おそらくこの日私は「浪曲」初体験だった。ナレーションの他、声色を変えて複数の人物を演じ分ける奈々福さん。ビジュアルも素敵だし、よく通る声、豊かな表情──堂々たるものだ。ただし、私の坐った位置が悪かったのだが、電灯の紐が気になって仕方なかった。
(なお、後で私は、奈々福さんが姜さんの著書及びその考え方をしっかりと承知されていることを知り、この浪花節ツアーの同志的結束を感じた)
そして、三味線を弾きつつ、時折混じる豊子さんの年齢を感じさせない合の手。

ところで、今回の案内パンフレットにも「浪花節」と「浪曲」の双方が使われているが、この二つの関係はどうなっているのか。パンフレット自体にこうある。
【浪曲】明治時代初期に成立した語り芸であり、鎌倉時代の平家琵琶、室町時代の謡曲、江戸時代の浄瑠璃(義太夫節)とに続く、日本四大叙事曲の一つ。三下りの三味線とともに、物語を節と啖呵(台詞)で演じる。その先祖は宗教音楽時代の説教、祭文である。「浪花節」が「浪曲」と呼ばれるようになったのは大正6年12月20日付の「都新聞」紙上で紹介されてからである。
大陸浪人・宮崎滔天が、桃中軒牛右衛門という名の浪曲師でもあったことを思い出す。

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かつて私は、姜信子さんが20代に書かれた『ごく普通の在日韓国人』(1987年)を新鮮な気持ちで読んだ。「在日」ということについて、初めて正面から意識させられた記憶がある。その後、 ファンどころか「読者です」と言えるほども読んできたわけではないが、時折拝見する鋭くかつ情感を大事にした文章はずっと気になっていた。そういう次第で、本編の浪曲とは別に、姜さんと話せるかも知れないというのがこの夕べの大きな関心事だった。
この日に備えて、姜さんの著書数冊を新たに購入した。結局、『安住しない私たちの文化──東アジア流浪』(2002年)を半分程しか読めなかったが、公演後、思い切って、持参してきたその本に姜さんからサインをもらうことにした。ところが姜さんは、本を見るなり開口一番、「この本の文体は、今とは全く違うのです」と。
そう言われたことへの驚きが、公演後の関係者懇親会に潜り込もうとの決意を固めさせた。なにしろ私が最近購入した本はすべて同じ頃の2000〜2006年発行だったので、当の著者から「もうここには私は居ない」というような言い方をされたら、そのまま聞き流すわけにはいかない。何らかの機縁で出会った書き手の本を、これから読んでいこうという意欲に関わるのは当然。

以下、久留米の焼鳥屋における、ごく短時間、かつうろ覚えでの姜さんの話をかいつまむ。
──そもそも私は、一冊の本を書き上げると自分が空っぽになってしまう気がする。そして、真っさらで次の本(課題)に向かおうとする。だから、私の著書はみんな文体が違う。また、元々私にはロジカルな文体で書こうという気持ちはなく、ベースとなる問題意識はずっと変わっていないけれど、年々、もっと自由な文体……例えば「うたう」ように書きたいと思うようになってきた。そのことは最近作を読むと分かってもらえると思う。
というような話だったか(違ってたら姜さん、御免なさい)。
12年前の著書、『安住しない私たち…』の私が読み終えた部分にはこうある(乱暴に抜粋)。
私が棄てたい「故郷」とは、20世紀の100年間、さらには21世紀の始まった今も変わることなく、私たちの思考や行動を対立の方向で縛りつづけている「国家」あるいは「民族」という発想の枠組みの核にされてきた「故郷」。故郷を想うことが、そのまま民族を想うことであり、国を想うことであると、無意識のうちに条件づけられた私たちの思考や連鎖を断ち切ること。
新しい時代は、新しい言葉と語り口を求めます。新しい言葉と語り口は、新しい時代を呼び出します。新しい言葉と語り口をつむぎだすとは、新しい生き方を創り出していくことなのだと、私は信じているのです。民族や国家と堅く結びついた「故郷」におそらく我知らず身を置いているあなたを、旅にいざなう言葉を探しながら……。
そう、「そこには私は居ない」と言われて驚く話ではなかった。私が、読めていなかったのだ。
──新しい言葉と語り口をつむぎだすとは、新しい生き方を創り出していくこと。
“安住” するとそこが「故郷」になってしまうことを拒否したいのか、或いは次々に「新しい生き方」を創り出していくためか、近年でも、元から住んでいる横浜の中で何度も引っ越しをされているとかで、名刺には住所を記載しないことにした、と。確かに、いただいたそれには、電話&FAX番号、携帯番号二つ、メール・アドレス(携帯・PC)しか記されていなかった。「どれかで連絡が取れるでしょう」と。
浪曲公演後にサインをもらう時、私は「お好きな言葉を書いて下さい」と依頼した。すると姜さんは、「われらの故郷は未来にあり!」と。
[9/5最終]
→生姜信子さんのブログ:読む書く歌う旅をする
→花乱社HP