■大人という国の小さな旅、週替わりの夕暮れ[2014.8.25〜31] |
子供の頃に自分だけでしていた遊びの中に、外国の人になって景色を見る、というのがあった。(略)
電車に乗っているときなど、
「わたしは、はじめて日本にやってきた外国の人で、目の前にある景色は外国なんだ」
そう思って街を見てみれば、ものすごく新鮮だった。(略)
門限のない大人という国に辿り着けて、本当に良かったと思う。映画は何時に見てもいいのである。
この人の文章を勝手に取り込むのは2回目(1回目→使い道のない切なさ)。
特別どうということのない、日常のちょっとした感慨。だけど、私も遙かな過去のどこかで「門限のない大人という国に辿り着けて、本当に良かった」と思ったことがあるのを気づかされる。その後もずっと「大人になって良かった」と思い続けてきたかどうかは別として。
姜信子さんの文章に触れたこともあって(→デイサービス施設での浪曲ライヴと姜信子にとっての「故郷」)、このところ改めて「旅」についてぼんやりと考えている。映画を観ることも旅だし、本を読むこともそうだ。音楽に聴き入る時も、友人の身の上話を聞いている時だって、私たちは旅しているのではないか。
ともあれ益田ミリさんのエッセイは、一人の人間が、集団的自衛権や民族や株価などといったものとは別の世界(真実)をも当たり前にちゃんと生きていることを、そこはかとなく伝え、思い起こさせてくれる。「命」は日々、それぞれの旅をしている。
誰かが言葉にして留めてくれなければ、次の瞬間には掻き消えてしまうささやかで大事な場面が、人の世には星の数以上ある。
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さて、私の日曜夕方のささやかなトリップ。福岡ではもう、ツクツクボウシが席巻する時季となった。「蝉の中で一番の歌い手」と言った人がいるらしいが、夏の終わりの短い命を、次第にテンポを上げて気忙しく駆け抜けるような歌声。
十数キロのウォーキング中に出会ったもの。名も無い庶民が居ないように、名も無い花もない。私が知らないだけ。
秋の訪れを予感させる風が水面を渡る。
何年も通っている水辺公園だが、どんな天候であれ、いつもその時々の一番いい表情を留めてやりたいと思う。私自身の「今日」のためにも。
●8月25日、事務所(福岡市中央区舞鶴)入居のビルより
●8月30日、同上
[9/2最終]
→花乱社HP