■似顔絵描き1万人チャレンジの植木好正氏、そして花乱社5年目に入る |
ドイツ・エッセンでの似顔絵描きは、「最初は緊張したけど、みんな庶民ばっかりでしょ。だんだん慣れてきてね。この辺の商店街で描くのと同じだった」と。
植木さんはチャレンジ精神の塊のような人だ。還暦記念にフル・マラソンに挑戦する人なんぞ、世の中にそれほどは居ない(その他のチャレンジは下記ブログ参照)。
4年前、私が花乱社を創業早々、事務所内の備品を揃えようと市内のリサイクル・ショップなどを走り回っている時、久方ぶりの植木さんから電話が掛かり、「あんたが新しく出版社を始めたのなら、僕は画集制作に挑戦しよう」と。とてもありがたいお申し出であった。
2011年6月に出来上がった画集『人間が好き』の「あとがきにかえて」に植木さんはこう記している。
「2010年の秋、30年来の友人・別府大悟さんが出版社(花乱社)を設立したとの便りがあり、何かできることはないかと考え、画集を出すことにした」
まさに事実のまんま、これほど率直な、エールと言う以上の任侠のごとき気持ちの重ね方は、やはり「筑豊人だ」とまで書いてしまうと、これまた要らぬ誤解を生み兼ねないが。
以後のことは、これまで下記のごとく(掲載順)ブログで書いてきたので省略。
→ご近所路上絵画展
→“田舎のシュール”てんこ盛りの画集
→『人間が好き』出版記念油絵展
→100号ばかりの植木好正氏絵画展

上の記事にある、「ドキドキすることせんとね。人生は短いから」という言葉は、彼からこれまで幾度も聞いてきた。私は勝手に植木さんのことを “人生ドキドキ派”(「教」ではない)の先達と目してきた。
画集『人間が好き』より植木さんの人物画を幾つか掲げておきたい。似顔絵とは違いいずれも油絵の大作(100号以上)だが、植木さんがどのように対象の人物(ちゃんとモデルが居る)と向かい合っているかが窺い知れるはずだ。
[マサノさんの来世 1997]

[さけくらい 1997]

[焼酎五尺 1989]

[光は雲のように、空のように 2007]

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よく私たちは、「人から元気をもらう」、「誰かに元気を与えたい」などと、口にしたり、聞いたりする。時として、そうした言葉を──我ながら、も含めて──さもしく、またあざとく感じることがある。それは、どこか他人のことをアテにしていたり、他人の目線を意識している心根に触れてしまうからだろう。
かといって、誰からの刺激もヒントもなくして、また一切他人のことを顧慮せずに、自ら超然的にいつも「元気」でいられるほど、そもそも人は強くはない。
そうした時、「かわいい女の子やきれいな女性ばっかり描いていたら『あー、そろそろじいさん描きてえなー』て言うんですよ」と妻からいじられる変なおじさん(失礼!)が、ニコニコとして描く似顔絵の世界は、互いの間の垣根をヒョイと越えて、「やっぱり人間が好き」という境地にひっさらってしまうはず。きっと、植木さんの視線や絵筆で顔の細部をなぞられて、例えばただのじいさんとして描かれるのは、心地良い体験だろう。「おじいさんも、たくさん遊んできたでしょ」とか言われて。
(だけど、私自身はこれまで、植木さんの似顔絵モデルになることを遠慮してきた。別に1万人目を狙っているわけではないが)
10月4〜12日、福岡県直方市の画廊「カンヴァス」で似顔絵作品展を開催、希望者の似顔絵も描くとのこと。
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今日から花乱社創業5年目。共に語らい何事かをやって来た人、そして新たに巡り会うだろう人との間で、なお──元気さだけでなく──命の喜びを伝えていく仕事を目指していきたい。ただ出版を業とする者として。
[10/24最終]
→花乱社HP