■札幌の近藤さんには悪いけど、福岡にもきっぱりと冬が来た[週替わりの夕暮れ:12.7] |
きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹の木も箒になつた
きりきりともみ込むやうな冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背かれ、蟲類に逃げられる冬が来た
冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た (十二月五日)
1913年、高村光太郎30歳の作。この詩に出会ったのは、高校何年生の教科書でだったか。
強烈な自負心、青春の高らかな雄叫び。100年後の今、最早誰もこのようには歌わない、歌えない。
だが、ふと、陽水の初期の曲を思い出してしまう。例えば「氷の世界」、そして季節は真逆だが「夕立」。いずれもほぼ40年前に発表されたもの(陽水は光太郎詩を参照したはずだ)。それからすると、もう100年前だってそれほどの昔だと思わなくなっている自分が、なんだか可笑しい。「100年経つたら会ひませう」(太宰治)
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久し振りに落暉(らっき/沈む太陽)──今手掛けている原稿でこれも久し振りにお目にかかった言葉──そのものを眺めようと、4時半から歩き始める。それでも、せいぜい擦れ違い様に出会うようなものだった。
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西ノ堤池にて、名残の紅葉。
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私は今日一日、きっぱりと/はりつめた気持ち──で過ごしただろうか。
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やがて辺りはモノトーンの世界へ。在らぬ方(かた)に紛れ込むにはうってつけの時刻だ。
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[12/8最終]
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