■母から娘へリレーされるもの──『句歌集 たんぽぽ/空飛ぶ術』 |

今枝美知子さんは、私が事務局を務める「ライオンとペリカンの会」(HPあり)の関わりでの年来の友人だ。住んでいる街ではそういう集まりがないのでと、今枝さんはこの10年近く、途中飛び飛びの時期もあるが、はるばる宮崎市から読書会(福岡市、隔月開催)に来て下さっている。
「本を出したい」という相談を受けたのは晩春だった。小学校教師という激務の合間に、今枝さんは原稿を準備し、秋から本格的に編集作業を進めてきた。高齢のため施設において車椅子生活の「母を元気づけたいために編んだ親子句歌集です。手にして下さった皆様にも、たくさんの元気が届きますように」と、小序にある。
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私の好きな作品をそれぞれ10句/首、掲げておこう。
苺買いに夕日の通るあと追うて
木瓜咲いて遠まわりする白い猫
花散るやシャネル五番は箱に冷え
摩周湖に春のストレスほかしけり
父の果てし緯度にハマナス赤くゆれ
紫蘇もむや母のしぐさの鮮やかに
インコ来てみみずが砂をころげゆく
薄霧や宙に浮いたる馬の尻
大熟柿をぽーんと放った入日かな
菊人形胸のあたりの菊ゆたか
敏子さんの収録句(「たんぽぽ」として括られている)は、所属する「野ぼたん」の会の合同句集(1994年刊)からの転載。今回は時間がとれず間に合わなかったとのことだが、その後20年間の分も是非美知子さんに編んでもらいたいものだ。
敏子さんのお父様は、元々福岡市・西公園内にある光雲(てるも)神社の神職家を出自とし、短期間宮司職に就いたのち外務省に転じ、家族共々満州(中国東北部)へ渡ったとのこと。敏子さんは、「終戦」を福岡市香椎で迎えている。当時16歳、多感な少女の眼に故国の有様はどう映っただろうか。
美知子さんは幼い頃、母親からよく「大陸の夕日はものすごく大きいよ」などと聞いたらしいが、「大熟柿をぽーん…」の句にはからりとしたおおらかさが感じられる。私は俳句門外漢だがこれもやはり「文学」という視点から言わせてもらえば、内心や叙景双方にそれほど囚われていないどこか突き放した感性が心地よい(確かに、元気づけられる)。とりわけ「薄霧や…」のシュールな情景は忘れ難い。
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一斉に「犯人はあっち」と指をさす空き地のつばなの穂のもわもわ
追い風を確かめたくて振り返る目の前に海隙間なく海
カドニウムイエローという毒を買い求む溢れ満つ陽を描かむために
早朝に鳴くひぐらしの狂おしき蝉時雨にも混じらぬ淡さ
手鏡を失いしまま波間に立ちすくむザラザラとしか好きになれない
左右よりサクラサムライニッポンとカタカナ密かにいくさへ誘えり
その結果いじめになると問い正す子どもも我も涙ながらに
一筋の黒髪手先に絡まりて捕れぬ解けぬ我の我(が)のあり
空色の目をもつ猫はモディリアニのアンニュイ知るか永遠を知るか
港の西小鳥屋の横にあるという空飛ぶ術の本を売る店
美知子さんは「心の花」などに所属。寺山修司の世界に影響されながら作歌を始めた、と。より現代的・社会的になったのは勿論のことだが、ここには紛れもなく母から娘へとリレーされているものがある。──タンポポやツバナとともに夕日を追って、“空飛ぶ術”を探し求める母娘。
残念ながら、本が出来上がる二十日程前に敏子さんは亡くなられた。85歳。とても楽しみになさっていたらしい。私としては、友人の人生の大切な時期に何らかのお手伝いができたのであれば……と思うと同時に、本というものは書き手自身をもきっと癒し励ますはずだ、と信じたい。
(『心のガーデニング』2014年12月号寄稿分を転載/一部加筆)
→花乱社HP