■あの「美しい国」の鄙の今──田中優子『鄙への想い』他 |
鄙から見た都はどんなものだったのか/グローバル化は人を幸せにするのか/富と権力が都に集中し鄙は見捨てられるのか/循環社会のノウハウは江戸学にある
月刊『清流』に連載当初(2011年〜)の目論見は、「山や川やそこに暮らす人々をめぐる軽いエッセイ」を書くつもりだったが、1回書いたその後で3月11日がやって来て、「地球の表を一枚べろりとめくられたような気分だった」と言う。

田中氏はタイトルどおり、「鄙への想い」を様々に語ろうとする。
*そこにあるのに届かない。胸がしめつけられるほど懐かしく、いとおしい。しかしそれは、実際には私のこの眼で見ていないはずの風景であり、極めて現実的であるのに私のものではない。手を伸ばして触れたいと思う。足を運んでその地を踏みたいと思う。しかし決して届かない場所。それが私にとっての「鄙」である。まるで「夢の中の日常」のようではないか。しかし鄙は今、存亡ぎりぎりの身体をさらしている。「夢の中の日常」にひたってばかりもいられない。
*人間が土地と結びつき、死んだ人間の想いとつながって生きている場所が、鄙である。死者は必ずしも先祖とは限らない。見守り、見守られる関係として、あらゆる死者とつながって生きているのが、鄙の生き方であろう。風土を生きることは、いかなる時代のいかなる場所に生まれ育とうと、人間の宿命なのだ。
そうして今、「鄙」の問題は、水俣─沖縄─福島へとつながる “被差別” の構造に集約される。
*3.11により、都と鄙の差別はとてもはっきりしてきた。福島が、生きることが困難な、再生することすら難しい地域になってしまったのは、鄙が都の犠牲の地として、あらかじめ位置づけられていたからではないか。犠牲の地であることは、原発施設の設置にあたって多くの補助金が行政に支払われることに現れている。
*福島はほかの被災地のどことも似ていない。そして福島ほど、「都と鄙」の関係を顕わにしたところはなかった。その「都と鄙」は「国家と鄙」と言い換えてもよい。福島のムラは、子どもや孫のために地域の発展を夢見た。そして中央に作り出された原子力ムラは、核燃料サイクルによる永遠のエネルギー供給を夢見た。即ち、原発の建設は、日本の二つの「夢」の現れだった。一つは核武装、もう一つは経済成長である。二つのムラの二つの夢は、あの日までは呼応しつつ、夢を見続けていたのである。
*江戸学は地域の学というより、一時代を全体のシステムとして捉える学である。江戸時代を研究する姿勢はまず二つに分かれる。一方は、文献を詳細に具体的に読み、余計な価値観を入れずに「文献的事実」を解明する姿勢。もう一方は、「今の世界あるいは人間に何が必要か、私はいかにして生きるのか」という、問題の価値を問うことが先にあって、その解明のために研究する姿勢。前者は1960年代の学生運動で批判にさらされ、核融合の研究などはとりわけ、「研究の意味」を問われたはずなのだが、「人間にとっての意味」を考えない専門家たちがまだいたことを、原発事故で私たちは知った。
*人の命より企業の延命を選んだことは、チッソはもちろん、原発再稼働をもくろむ東京電力とも酷似する。政府が企業側につき、被害者をふみつけにするところは、明治以降今日に至るまで、何も変わっていない。つまりそういう政府とそういう文明を、日本人が選び続けている、ということである。
まとめとして、田中氏は言う。
*鄙の本当の存在理由は、人を自然界に結びつけ直し、人をまともに育ててゆく力だ。しかし、今の鄙は、「レジャー」という名の金儲けの場を目指している。鄙の存在を生かし、その自然を人間が生きる方法とすることはできないだろうか? 自然と人間の間にある関係を取り戻す運動は、おそらくどんな時代でも国家や政治団体に利用される可能性があるだろう。それを十分に意識し警戒しつつ、それでも「鄙を生きる」力を取り戻す必要がある。
以上、レジュメからのランダムな抜粋まで。
余計なことまで書いておこう。改めて本書の帯の惹句を見てみる。
東京六大学史上、初の女性総長誕生!
「鄙」とは、「都市部」から離れた「いなか」のこと。
「鄙」と「都」の構図から見えてくるものとは?
江戸の価値観を通して、現代社会が抱える矛盾に迫る。
この編集・出版センスは、どうしたことだろう。少なくともトップに持ってくるべきではない(本の内容とは無関係)1行目を最悪として、見事順々にみっともなさが軽減されていくが、この本を「江戸の価値観を通して、現代社会が抱える矛盾に迫る」とまとめてしまって、それでいいだろうか?
ともあれ、他山の石としたい。
*
ついでに、「辺野古移設は『沖縄問題』ではない」とする小熊英二氏の文章(「朝日新聞」4月14日)に触れておきたい。
沖縄の海兵隊主力戦闘部隊はアジア全域で活動しており、1年の約半分は沖縄にいない。つまり沖縄のみならず、日本に基地がある必然性もない。ならば、なぜ辺野古移設なのか。そもそも米軍は、なぜ日本にいるのか。(略)
誤解されていることも多いが、「日米安保条約」は「防衛条約」ではない。それは、日本が米軍に基地を提供するための条約である。(略)
そもそも米軍は、日本との「防衛条約」を望んでいなかった。(略)
問題を複雑にしたのは、日本政府の姿勢である。この条約に署名した吉田茂首相は、これが日本を防衛する条約ではなく、米軍に基地の自由使用を認めた条約であることを理解していた。(略)しかしその後の歴代政権は、これを日本防衛のための条約だと説明した。このため、国内むけの「建前」と、米軍の活動の実態が、乖離することになった。(略)
辺野古移設は「沖縄問題」ではない。それは日米関係の実態を、国内向けの「建前」で覆い隠してきたツケが集約的に露呈した問題だ。
この政権党は今でも、「○○を取り戻そう!」というスローガン・ポスターをあちこちに貼っている。きちんと「利権」の字を宛てるべきではないか。
[4/21最終]