■『アリスのままで』、そして週替わりの夕暮れ[7/10・12] |
『アリスのままで』についてはたくさんの映画評や感想が読めるし、色々な “読み方” があり得るだろう。一度観たきりなのでうろ覚えのまま、私の感じたことだけを記しておきたい。
アリスが自分の変調に最初に気づくのは、講義中に或る言葉が出なかったことから。後で思い出すことになるその言葉は、「語彙」(ボキャブラリー)。自信に満ち溢れた高名な言語学者が「語彙」という言葉を失う──これは象徴的なことだ。次に、ジョギング──体力そのものはしっかりとあることが示される──をしていて、よく見知っているはずの風景の中で佇んでしまい、自分がどこに居るのか分からなくなる。
診察を受けて、若年性アルツハイマーとの診断を下される。繰り返し「残念です」とは言うものの、医者はただ患者へ、今彼女が置かれている状況と病気の進行スケジュールを示すだけ。この病気は見る見るうちに進行して、最後はすべての記憶を失うという。確実に遺伝する「家族型」ということで、家族の中に「明日は我が身」の波紋が広がる。
記憶が「どんどん剥げ落ちていく」(主人公の言葉)中、家族や同病者や医者の集まりにおいて、アリスは自分の病気の報告スピーチをするのだが、これが素晴らしく美しい「文章」だ。人は、すべての記憶を失っても、なお高潔な自己で居られるだろうか。そこでアリスは、未来の(最早アイデンティティを共有していないだろう)自己に向けて、一つの準備をする──。
もう一つ、傍に居てアリスの面倒をみることになるのが、元々女優を目指して家を出ていた厄介者の次女(『トワイライト』シリーズのクリステン・スチュワート。彼女ほど美の “凄絶” さを体現できる女優は居ない)。ラスト・シーンで彼女がアリスに語って聴かせる物語(芝居の脚本?)がこれまた素晴らしい。人々の魂が寄り集まってオゾン層の裂け目を修復していく……という内容だったように思う。地球表面を取り巻くオゾン層の、 損失部分。それはまさに、MRI検査で明らかになった、アリスの脳を覆う──記憶を支えない──患部の画像と重なる。
今の私の記憶では、これ以上語ることができない。いつか……のためにもう一度観ておきたい。たとえ私に訪れるものが、最早「若年性」のアルツハイマーではないとしても。
![■『アリスのままで』、そして週替わりの夕暮れ[7/10・12]_d0190217_22433084.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201507/12/17/d0190217_22433084.jpg)
![■『アリスのままで』、そして週替わりの夕暮れ[7/10・12]_d0190217_22434929.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201507/12/17/d0190217_22434929.jpg)
今日の西ノ堤池(福岡市城南区)。雨が降ったりやんだり、風もやや強かった。
![■『アリスのままで』、そして週替わりの夕暮れ[7/10・12]_d0190217_2247364.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201507/12/17/d0190217_2247364.jpg)
ウォーキング終了間際、西空がほのかに明るんだ。
![■『アリスのままで』、そして週替わりの夕暮れ[7/10・12]_d0190217_22441728.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201507/12/17/d0190217_22441728.jpg)
*
10日、福岡市中央区舞鶴・昭和通り。
![■『アリスのままで』、そして週替わりの夕暮れ[7/10・12]_d0190217_22454785.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201507/12/17/d0190217_22454785.jpg)
事務所ビル(中央区舞鶴)より。
![■『アリスのままで』、そして週替わりの夕暮れ[7/10・12]_d0190217_22451459.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201507/12/17/d0190217_22451459.jpg)
たとえ記憶を失っても、なお覚えている夕暮れがあるとしたら、それはどんな色合いのものだろうか。この世の終わりのような紅か、それとも永遠なる可能性を夢見させる青か。
![■『アリスのままで』、そして週替わりの夕暮れ[7/10・12]_d0190217_2245287.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201507/12/17/d0190217_2245287.jpg)
[7/14最終]