■あり得たかも知れない、もう一つの戦後……そして週替わりの夕暮れ[14・15日] |
西崎文子東京大学教授の談話の一部。
それにしても、戦後70年の節目にあって、歴史的洞察が深まらなかったことは残念です。談話における植民地主義への反省や戦争の悲惨さへの言及は周到なものでした。しかし、戦後の日本が戦争責任にどのように向き合ってきたかについては、すっぽりと抜け落ちています。平和国家としての歩みを強調しながら、それを担保してきた憲法には一言も触れていません。
改めて節目の年に初心に帰るとすれば、考えるべき第一はアジアにおける日本の加害責任、第二は戦争被害、とりわけ原爆被害です。開戦責任は日本にあるとはいえ、原爆被害は人道的に許されるものではありません。それを米国に言えずにきたのは、原爆があの戦争を終結させたのだ、だから正当なのだという見方が、米国のみならず、アジア諸国でも根強いからです。
しかし、日本がアジアにおける戦争責任に真摯に向き合っていたらどうでしょう。加害責任を認めて謝罪したうえで原爆投下の非を問えば、核廃絶にむけての日本の主張は説得力をもったはずです。日米安保体制下で自立した姿勢をとることも可能だったでしょう。日本国憲法の平和主義も、そのような積極的姿勢を求めていたはずです。
安倍政権の親米ぶりは突出しています。日米同盟が強化されれば、安全保障は万全だというのは短絡的な発想です。緊張があればこそ、中国や韓国との関係強化に力を入れる、それが外交の知恵です。
これだけの行の中に、戦後日本の核心部分が語られている。あり得たかも知れない、もう一つの戦後。
西崎氏は1959年、宮城県生まれ。東京大学教養学部地域研究科卒業後、一橋大学大学院法学研究科公法専攻修士課程終了、フルブライト奨学生としてイェール大学歴史学研究科へ留学。専門はアメリカ政治外交史。
東京大学教養学部──これなども、安倍政権が撲滅したがっている国立大学人文社会科学系学部の最たるものであろう。否、むしろ、仮初めにも党として「自由と民主」の旗を掲げているのなら、これだけの根源的な批判をなし得る知性を育み続けているこの国の大学及び民主主義を、自ら言祝(ことほ)ぐ度量を持つべきではないか。
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14日、筑前町にて。
くじゅう・黒岳山麓の白水(しらみず)鉱泉(→「水」の話)に天然炭酸水──やっぱり美味、世界一と言いたい──を汲みに行き、高速道路の渋滞を避けた帰り道で。
15日。一昨日に続いて短縮ウォーキング。
バス営業所の裏は殺風景だが、空が広く見渡せる。一瞬、面白い雲が……いや、どうやら飛行機雲の名残だ。
西ノ堤池にて。
夏の盛りを思慕するがごときツクツクボウシの輪唱に迎えられる夕暮れ。
[8/17最終]