■いなとみ修二氏への注文 |
普段私は、郵便で届いたものを含め、こういう政治活動報告の類いはほとんど読まずに捨てる。かつていなとみ氏──だいぶ以前からの風潮だが、選挙のためだけにやたら姓名をひらがな表記に改める便法を私は好まない。投票者は漢字を書くのを厭って書き易い平仮名の候補者に票を入れる、と思っているのだろう──は私の選挙区(福岡県第2区)で、これまで何度か、選挙前ではない時期も含めて、我が家から1キロ程の交差点で「辻立ち」する姿を見掛けてきたこともあり、珍しく読んでみた。
下の画像はその2面の一問一答。

集団的自衛権の本質は他国の防衛です。他国防衛のための武力行使は憲法では認められません。「限定的」集団的自衛権という言葉はごまかしにすぎません。
時の権力者によってなし崩し的にことを進めることがいかに危険か、先の敗戦の最大の教訓です。権力を制限すべき憲法が時の権力者によって自在に変えられることに対しては、護憲派も改憲派も反対すべきです。
抑止力向上のために防衛強化がことさら強調されますが、むしろ日本の外交力を磨くことが不可欠です。日米関係同様、戦略的には日韓関係を強化することも重要です。東アジア情勢を安定させるためには、日米韓三カ国が強固な外交関係を築くことが必要です。
いずれも明快、至極真っ当だと思う。少なくとも私は、民主党関係者からこれだけ簡潔な「集団的自衛権」批判を聞いたことがない。
問題は、マスコミ報道による情報・印象として、民主党議員・関係者すべてが以上の戦後民主主義の生命線と言うべき認識においてすら「意見一致」しているようには思えないことだ。この3項目を繰り返し明確に押し出すだけでも、民主党への期待と信頼可能性は幾らか増すのではないか。
いなとみ氏は衆議院議員時代の2009年、その2年前の福岡県知事選時の政党交付金に関わる使途不明金が指摘された。当時の「民主党への期待」に水を差したことは間違いない。
世界情勢を考えるまでもなく、最早「戦争法案」は単に国政・軍事レベルの争点ではない。この国の津々浦々、いなとみ氏が自転車を停めて襷がけで「辻立ち」した島廻り橋西交差点にもいつ爆弾が落とされたり仕掛けられるか分からないという、近未来において暮らしや人々の命そのものを奪う可能性のある現実問題だ。
「集団的自衛権」を掲げる「安保法案」には憲法違反の “疑いがある” ──とマスコミは報道する。違憲かどうかを最終的・本来的に判断するのは誰か。それは内閣法制局でも、最高裁でもなく、主権者のはずだ。「代議士」というのはその付託を受けている存在を言う。
「人生二度なし」(氏の座右の銘)。いなとみ修二氏には(国会に限らず)議員復帰──いや、市長でもいいのではないか──を果たし、自己の汚名をすすぐためだけでなく、議会政治に呆れ果て街頭デモに初めて参加している若者を含めた「主権者」のために、対米追随・軍事優先国家を目論む者たちが暴走し続ける交差点で、今度は立ちはだかってもらいたい。
[10/19最終]