■週替わりの夕暮れ[9/13]、そして「他民族を殺す民族には、自民族の自由もない」 |
普段よりやや遅めの時刻に歩き始める。西ノ堤池では、ツクツクボウシにも一頃の勢いはない。替わって、コオロギその他の虫の音が盛んだ。
歩く人、走る人。ほぼ毎週日曜日に見掛ける人もいれば、今日が初めてという人も居る(勿論、たまたま買物帰りという人も)。いずれにも共通なのは──どういう了見か、大半が右回りなのに逆方向で向かってくる人を除いて──ほとんど真正面から相手の顔を見たことがない、ということ。
歩いている人から追い越されることはほとんどないので、見るのはいつも後ろ姿。体格は勿論として、脚の運び方、腕の振り方、腰や頭の揺らし方──みんなそれぞれ違う。いずれにしろ、私は誰とも挨拶は交わさないが。
西日を受けて紅く染まる雲。見ていて美しいが、おそらくこれは自衛隊機による飛行機雲の残滓だろう。──近未来のいつか、こういう航跡を残して、自衛隊員がどこかで人を殺すために飛び去っていく刻が訪れるのだろうか。もうその時は、「自衛隊」という呼称でも、「一般募集」されるものでもないかも知れないが。
ともかく、「仕事」で人が殺せるだろうか。誰がその所行を「仕事」だと言い含めるのか。
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この半月、ずっと放念できないでいる新聞の記事がある。「朝日新聞」8月29日の夕刊。「あのときそれから」というシリーズの、「関東大震災の朝鮮人虐殺(1923年)」特集に寄せられた、滋賀県立大名誉教授・姜徳相(カンドクサン)氏(83歳)のコメント部分だ。以下、この先きっと新聞を見失うだろうから、自分自身に銘記するためにもその全文を掲げておこう。
なお、姜氏は韓国出身で、青山高校、早稲田大学に学んだ歴史学者。専門は朝鮮近現代史、朝鮮独立運動。在日韓人歴史資料館館長。「韓国強制併合100年共同行動」日本実行委員会共同代表。「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」役員とのこと。
90年以上経つのに、どこで誰が殺されたのか人数さえわかっていないし、日本政府の公式謝罪もありません。現在のヘイトスピーチの問題とも直結し、いまだ清算されていないのです。
虐殺は、日本が植民地支配で行ってきた弾圧に対する報復を恐れた治安当局による先制攻撃だと私は見ています。震災の翌日には本来、戦争か内乱でなければ出せないはずの戒厳令が出され、連動して「不逞鮮人ノ放火又ハ爆弾ノ投擲」といった流言が、急激に広がりました。警察官が「朝鮮人は殺しても構わない」と触れ回ったという証言も多数あります。むしろ軍や警察が流言飛語の発生源になっていたと言えます。当時の日本人は朝鮮人の放火や蜂起といった流言も、官憲から聞けば条件反射のように信じたでしょう。
今も差別意識は、おりのように国民感情にたまっています。70年以上、都内の自宅で暮らしていて周囲には私より古い人はもういないくらいですが、それでも近所の商店で、「黙れ、朝鮮人」と言われたことがあります。
朝鮮を下に見て愛国心を喚起するのは、明治以来の手法です。しかし他民族を殺す民族には、自民族の自由もありません。1945年までの日本の侵略と植民地支配を直視せず、加害の意識もないのなら、同じことをまたやってしまうのではありませんか。
以上のコメントには、私たちが学校で学ばず、社会に出た後ようやく学べたかも知れないこと──そのままが語られている。とりわけ、末尾の危惧の言葉は重たい。
関東大震災時の朝鮮人虐殺についてのみならず、日中戦争・太平洋戦争について、福島原発事故について、さらにそれを覆い隠すために遮二無二誘致されたイヴェント・2020年東京オリンピックのゴタゴタについても、この国では最終的に誰も責任を取らない。
個々人は善良、集団になると残虐──我々はもはや違う、とそう言い切れるだろうか。我々は──「朝鮮人の放火や蜂起といった流言も、官憲から聞けば条件反射のように信じた」──父祖世代から、どれほど遠くへ来れたのだろうか。いつか、またぞろ「自衛」のためと称して他国に押し入る、ということは決してないだろうか。
もはや「戦後」ではない──というのは、新しい戦争の準備を始めたい者たちの言葉だ。誰のために、とは尋ねるまでもないことだろう。
[書き掛け]