■東京には空が無い…か、そして「戦争法案」強行採決翌日の国会議事堂前 |
●9月20日
夕方の約束まで少々時間があり、取るものも取り敢えず国会議事堂前へ。税金を食い潰すだけの代議士どもは最早その辺りには居ずとも、「誰か」は居るだろう、と。
国会議事堂──かつて私は、(真に無知な)政治学徒として都合4年半東京で暮らしたが、当時ここに来た記憶はない。“永田町” で行われているものだけが「政治」だとは思っていなかったからだ(勿論、今も考えは変わらない)。もし、今目の前にしているこの──敷地の広さ・庭の手入れの具合といい、建物の重厚さといい、要するに── “宮殿” で行われていることだけが「政治」だとするなら、この国の主権者が、そして政治というものが持つ本来の使命と理想が、あまりにも哀しい。
下の写真の、右手に立つ年配者は、私の少し後にスピーチをし、「この暴挙を、まだ間に合ううちに止めるには、法案に賛成票を投じた議員を選挙で落とすしかない。近くは来年の参院選、また地方選においても、自民・公明の候補者には票を入れないよう、皆さんの周りの方たちにも是非伝えて下さい」と結んだ。公明党=創価学会批判の声はとりわけ激しかったし、怒っているのは若者だけではなかった。
たった30分間だけの “仲間” でしかなかったが、私が帰る頃、アゴラの参集者は200人近くになっていたようだ。
はとバスにて半日都内ツアー(新宿→浅草〔牛鍋〕→隅田川クルーズ→東京タワー)に。この際見知らぬ街を訪れたつもりで、という気分だったが、実のところ私は貧乏学生だったこともあり、名所旧跡をほとんど観ていない。
まずはおなじみ浅草寺(せんそうじ)。
長男が住むマンションは狛江市にある。すぐ傍を流れているのが野川(古井由吉に同名作品あり)。あえて余計な護岸整備などはしていないようだ。川との位置関係や建物の方角で当然ながら随分とステータスが異なるようだが、河畔だけを見ればどこか田舎っぽくてなかなかいい。
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
真に今更ながらの高村光太郎を掲げた。
結局、どこに居ても空ばかりに眼が行く。すべては空の下の出来事。
私も東京には「空が無い」と思っていた。だが今回、例えば隅田川の河畔や皇居付近で見る空は、予想外に広々としていた。「昼間の就業人口7万人・住民登録者(夜間居住者)5人」とはとバス・ガイドが言っていた大手町では、巨大でシックなビル群とヘリコプターが飛び交えそうなビル相互の空間設計には、さすが首都だと感じ入った。
どのみち住民(や仕事・観光でそこに居る人間)そっちのけで言うが──東京にも空はあった。だが、私が通ったマンモス大学における学生一人当たりのキャンパス面積と同じく、いくら空が大きくても、そこに居る一人当たりからすればどれほどだろうか。
三日間の滞在中、私は、10万人は見掛けたのではないだろうか。今更、東京の人口を云々しても仕方ないが、それにしても例えば新宿駅で、或いは浅草・仲見世通で、今ここでテロによる爆弾が炸裂したり、突然の飛来機による空襲があったなら、どれほどの混乱と悲惨が出現するだろうか……と思うことしきりだった。
そうしたことが起こり得る国となった。それらは「誰かが始める “人災”」であるとみんなに分かったことがせめてもの収穫である、と言えば非難されるだろうか。もはや誰も、『マトリックス』の世界で惰眠を貪ってはいられない。
●9月23日
福岡県糟屋郡の新宮沖に浮かぶ相島(あいのしま)にて「朝鮮通信使と日韓交流の島」講演会が行われた。
[以降、書き掛け]