■谷川佳枝子さんの講演会──「野村望東尼の歌と思想」 |
福岡市赤煉瓦文化館は、谷川さんと私のそれぞれにとって思い出の場所(→花乱社の残暑見舞い、創業5周年記念・谷川佳枝子さんの講演会)。私が事務局をしているライオンとペリカンの会の読書会でも会場として使わせてもらっている(参考→101回目の読書会)。以下、ウィキペディアによる紹介。
1909年(明治42年)に旧日本生命保険株式会社九州支店として竣工。設計は東京駅舎などで知られる辰野片岡建築事務所(辰野金吾・片岡安)が担当した。
1969年(昭和44年)に国の重要文化財に指定された後に日本生命保険が移転したため、福岡市教育委員会に移管され福岡市歴史資料館として開館。歴史博物館として運用されていたが、施設が手狭になったことから、1990年(平成2年)10月18日に博物館機能を福岡市博物館に移転。その後、重要文化財としての建物のみ公開してきたが、2002年(平成14年)に福岡市文学館として再開館した。

最初に私も10分程挨拶をさせていただいたが、そもそもが編集者の仕事は「一人対一人」が基本、幾つになっても大勢相手のスピーチは慣れない。
谷川さんは和服姿。お祝い事だから、というお心遣いに感謝するしかない。

演題は「野村望東尼の歌と思想」。
谷川さんは、勤王活動に関わる前と後に分けて、それぞれの時期から望東尼の歌を15首ずつ選び出して解説をされた。
いくつかを抜き出してみる。
●勤王活動前
世の中の憂きこと知らぬみ仏も物さびしらに見ゆる秋かな (題は「仏」)
ただ一夜世にあらむとて生いでしこは何事の報いなるらむ (わが子の死を悼んで)
平けき道うしなへる世の中をゆり改めむあめつちのわざ (安政大地震)
ともすればきみがみけしきそこなひてしかられしよぞ今は恋しき (夫の死)
一筋の道をまもらばたをやめもますらをのこに劣りやはする (若い女性への戒め)
●勤王の歌
冬深き雪のうちなる梅の花埋もれながらも香やはかくるる (谷梅之助こと高杉晋作のこと)
暗きよの人やに得たるともし火はまこと仏の光なりけり (姫島獄中の灯り)
奥つ城のもとに我が身はとどまれど別れて去ぬる君をしぞ思ふ (高杉の墓前にて)
冬ごもりこらへこらへて一時に花咲みてる春は来るらし (末期の歌)
原歌はすべて仮名書き。漢字を当ててもらってもまだ読みの難しい箇所はあるが、歌の意味、心映えとしては平易・明快だ。夫の死について「ともすれば……」と歌う率直さは、当時の女性としては珍しいのでは、と谷川さん。
[以降、書き掛け]
